【4月9日 Xinhua News】中国江蘇省の南京博物院考古研究所は3日、長年にわたる発掘と研究により、蘇州市張家港の黄泗浦(こうしほ)遺跡が鑑真の6回目の日本への渡航の出発地であることをおおむね確定したことを明らかにした。出土した唐代の寺院建築の遺構と日本の唐招提寺は非常に良く似ているという。

 唐代の長江河道南岸に隣接する遺跡は2008年に発見され、範囲面積120万平方メートル。主に六朝時代から唐、宋代にかけての遺構が見つかった。

 考古研究者は、長年にわたる発掘で得られた成果と鑑真の日本渡航の顛末を記した「唐大和上東征伝」などの史料の記載との比較研究により、遺跡が唐・宋代にはにぎやかな港町であり、鑑真の6回目の日本への渡航の出発地点、海のシルクロードの重要な結節点であったことを確認した。当時の社会生活の研究のみならず、仏教や寺院建築、港湾史、外交史などを研究する上でも重要な意義を持つという。

 考古学者を最も驚かせたのは、江南地方で初めて発見された唐代の寺院建築の遺構が日本の唐招提寺と非常に良く似ていたことだった。

 南京博物院考古研究所の周潤墾(Zhou Runken)副所長によると、遺跡からは文化財1万点以上が出土した以外にも、東のエリアで間口が7間、1室の面積が約18平方メートルの横長の建物の遺構が見つかった。建物の正面には「回」字型の建物、北側には同時期のかまど跡も多数見つかった。かまどの規模からみて多くの人に食物を提供していたと思われる。

 周氏は「中心線上の建築群の配置や周辺で出土した仏教関連の遺構、文献上の記載などは、結論を導く一連の証拠としてほぼ完全につながっている。この建築群は寺院建築であると推測できる」と述べた。

 同研究所の林留根(Lin Liugeng)所長は「黄泗浦の寺院遺構と唐招提寺の比較を行ったが両者は配置が非常に似ている」と述べ、いずれも倉や井戸、かまどがあり、黄泗浦の横長の建物、「回」字型の建物、門屋は、唐招提寺の僧房、金堂、中門とそれぞれ対応していると説明した。

 黄泗浦遺跡は今年3月に2018年度の「全国十大考古新発見」に選ばれている。(c)Xinhua News/AFPBB News