【3月29日 AFP】フランス・パリのルーブル美術館(Louvre Museum)に設置されているピラミッドが29日、完成から30年を迎えた。かつては建築的「わいせつ」と評されたガラスのピラミッドは今、パリの象徴となっている。

 フランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)元大統領の下で文化相を務めたジャック・ラング(Jack Lang)氏がピラミッドの建設計画を発表すると、著名な作家が反対抗議活動を呼び掛けたほど当時は不評だった。だが、今では設計を手掛けた中国系米国人の建築家イオ・ミン・ペイ(I. M. Pei)氏の傑作とまで呼ばれている。

 4月に102歳となるペイ氏は、「街中で大勢の人ににらまれた」と当時を振り返る。一時はパリ住民の90%がピラミッド建設計画に反対しているといわれていた。

 ラング氏はAFPに、ピラミッドが建設される前のナポレオン広場(Napoleon Courtyard)は「醜悪な駐車場」だったと語る。

 仏保守系日刊紙フィガロ(Le Figaro)は何年も、ペイ氏の「悪趣味な」デザインに反対するキャンペーンを繰り広げた。だが、1999年の建設10周年には、特集を組んでペイ氏の功績をたたえたことから、ペイ氏のデザインが成功を収めたのは明らかだ。

 香港と上海で育ったペイ氏は、それまで歴史的建造物を手掛けたことはなかった。だが、米首都ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アート(National Gallery of Art)に感銘を受けたミッテラン氏が、ペイ氏こそルーブルにうってつけだと強く主張した。

■「ここはダラスじゃない!」

 だが、1984年1月に行われたフランスの文化財委員会の会議は紛糾し、ペイ氏は設計案を提案することさえできなかった。この「ひどい会議」の最中に、ペイ氏に向かって「ここは(米国の)ダラス(Dallas)じゃない!」と叫んだ専門家もいたという。

 当時のルーブル美術館の館長アンドレ・シャボー(Andre Chabaud)氏は1983年、ペイ氏の設計案が「建築の危機」をもたらすとして抗議の辞任をした。一方、現館長のジャンリュック・マルティネス(Jean-Luc Martinez)氏は、ピラミッドがルーブル美術館にとって間違いなくプラスになったと考えている。

 マルティネス氏は、ピラミッドは「ルーブル美術館の近代的象徴」で、ルーブルで最も称賛されているモナリザ(Mona Lisa)やミロのビーナス(Venus de Milo)に「匹敵する象徴」となっていると語った。(c)AFP/Jean-Louis DE LA VAISSIERE / Fiachra GIBBONS