【3月4日 AFP】悪態をついてラケットを破壊する手に負えない少年から、世界中から称賛を集めるスポーツ界のスーパースターへ――。ロジャー・フェデラー(Roger Federer、スイス)は、これまで長い長い道のりを歩んできた。

 イタリア・ミラノ(Milan)で初タイトルを獲得してから18年、フェデラーは2日に行われたドバイ・テニス選手権(Dubai Duty Free Tennis Championships 2019)で優勝を飾り、ジミー・コナーズ(Jimmy Connors)氏以来史上2人目のシングルスキャリア通算100勝目を挙げた。

 そのうち四大大会(グランドスラム)が20勝、マスターズが27勝、ATPワールドツアー・ファイナルズ(ATP World Tour Finals)が6勝となっており、これまで大会賞金だけで1億2000万ドル(約135億円)を稼いできた。

 オフコートでは、2000年のシドニー五輪で出会った元テニス選手のミルカ(Mirka)さんとの間に2組の双子を授かった。

 しかし、これまでの道のりは、常に順風満帆というわけではなかった。

 ジュニア時代のフェデラーは、素晴らしい才能を持ちながらも気性が荒く、そのせいで疑いの余地のない能力を台無しにしかねない時期もあった。本人もその後、「しっかりしようとしたが、コート上できちんと振る舞うことには苦労した。自分が抱えていた大きな問題だった」と当時を振り返っている。

 それでも、2001年のウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon)では、子どもの頃からの憧れだったピート・サンプラス(Pete Sampras)氏を破り、自身の名を世に知らしめた。この時の勝利は、今も語り草になっている。

 しかし、翌年のウィンブルドンでは初戦敗退。さらに、21歳になった頃には子どもの時からの恩師で近しい友人でもあったピーター・カーター(Peter Carter)さんが、南アフリカ国内で交通事故により命を落とした。

 この事故がきっかけとなり、フェデラーは心機一転。以降はメンタルの弱さに惑わされることなく、華麗なテニスで勝者としてのスタイルを確立した。

 1981年8月8日、バーゼル(Basel)でスイス人の父ロバート(Robert)さんと南アフリカ出身の母リネット(Lynette)さんの間に生を受けたフェデラーは、8歳でテニスを始めた。

 2001年のツアー初優勝以降、準決勝で敗れたウィンブルドンを最後にシーズンを打ち切った2016年を除き、毎年トロフィーを掲げてきた。膝の故障の回復に当てた2016年の長期休養後、リフレッシュして迎えた翌シーズンは全豪オープン(Australian Open Tennis Tournament 2018)で通算18度目のグランドスラム優勝を果たすなど、見事な復活を果たした。

 さらに同年のウィンブルドンでは歴代最多8度目の栄冠に輝き、グランドスラムのタイトル数を19に伸ばすと、昨年の全豪オープンでは連覇を果たし、メジャー通算20勝目を挙げた。

 世界ランキングでは、2004年の全豪オープンで初優勝を飾った後に初めてナンバーワンになり、これまで通算310週にわたり頂点に君臨。また、2014年には国別対抗戦デビスカップ(Davis Cup 2014)で王者になり、五輪でも友人のスタン・ワウリンカ(Stan Wawrinka)とペアを組み、2008年の北京大会で金メダルを獲得した。

 8月には38歳の誕生日を迎えるが、引退の時期は決めていないと一貫して主張している。(c)AFP/Dave JAMES