■「自分の中で何かが変わった」

 モアタズ(Moataz)さん(25)は兵役で、シナイ半島に駐留する大隊に衛生兵として配属された。その大隊は、2014年10月にシナイ半島北部の検問所が武装勢力の大規模な襲撃を受けた際、現場に真っ先に到着した部隊だった。死者少なくとも30人と、現在に至るまでエジプト軍に最悪規模の被害を出したこの襲撃で、モアタズさんの任務は、現場で死傷者の状況を素早く把握し、治療に取りかかることだった。

「遺体の一部があちこちに散乱していました。あの光景は一生忘れられないでしょう」。モアタズさんは現場で、路肩に仕掛けられた爆弾の爆発で犠牲になった19人の遺体を数えた。爆発で即死した人以外は、負傷後に銃撃を浴びて息の根を止められていて、中には頭部に20発以上銃弾を撃ち込まれていた人もいたという。

 2017年に除隊し、現在はカタールで内科医として働くモアタズさんだが、今でも兵役中の体験についての悪夢に悩まされ、精神科にも通院している。モアタズさんは言う。「僕らにとって、そしてほかの多くの徴集兵にとっても、シナイはベトナムのようなものでした」。米国が1960〜75年に共産主義勢力と戦ったベトナム戦争では、多数の米兵が死亡したほか、帰還兵の社会復帰の難しさも社会問題になった。

「僕らは、人間がやり合えることの中でも、最もひどいことを目にしました。徴集兵の命がいかに安いかということも。そんな状況を目の当たりにしても平気な人たちもいましたが、僕の場合、自分の中で何かが変わってしまったんです」(モアタズさん)

 シナイ半島でイスラム過激派の活動が盛んになった発端は、2011年以前にさかのぼる。2000年代初め、シナイ半島に拠点を置く武装組織アル・タウヒード・ワル・ジハード(al-Tawhid Wal Jihad)が国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に忠誠を誓い、観光リゾート地でなどを相次ぎ襲撃、数十人が死亡した。これを受けて、政府はシナイ半島で武装組織の掃討作戦に乗り出した。

 2011年にムバラク政権の退陣を求めて民衆が蜂起し、国内に混乱が広がると、武装組織側は警察や軍に報復する絶好の機会を得た。この時期に活動を活発させたのが、アル・タウヒード・ワル・ジハードの一派、アンサール・バイト・アル・マクディス(Ansar Bayt al-MaqdisABM)だ。ABMはシナイ半島で、イスラエルやヨルダンまで延びるガスパイプラインを破壊するなどした。前出のモアタズさんの大隊が対応した襲撃を仕掛けたのもABMだ。

 2013年7月に軍出身のアブデルファタハ・シシ(Abdel Fattah al-Sisi)国防相(現大統領)が事実上のクーデタでイスラム組織ムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)出身のムハンマド・モルシ(Mohamed Morsi)大統領を失脚させると、ABMはシナイ半島でテロ活動を活発化させ、毎週のように襲撃を行った。ABMは翌年、アル・タウヒード・ワル・ジハード内の内紛を経て大部分がISに忠誠を誓い、ISの系列組織として「シナイ州(Sinai Province)」に改称している。

 シシ大統領は就任以来、シナイ半島での掃討作戦を続けており、その過程では民間人にも数百人規模の犠牲者が出ている。シシ大統領は先ごろ、掃討作戦でイスラエルと協力していることも明らかにしている。