【2月12日 Xinhua News】中国江西省南昌市にある前漢時代(紀元前206年~8年)の諸侯墓、海昏(かいこん、Haihun)侯劉賀(Liu He)の墓で行われていた発掘調査は、出土した竹簡と木簡の初歩的な釈読(しゃくどく、文字の読み取りと解釈)が終わり、関連成果がこのほど発表された。発掘プロジェクトの責任者、北京大学出土文献研究所の朱鳳瀚(Zhu Fenghan)所長は3日、新華社の取材に対し、釈読により古代の典籍の失伝した版本や比較的早い時期の版本が確認できたと説明。これらには「詩経」や「礼記(らいき)」などの儒家の経典が含まれており、儒家の学説とその経典の伝播、変遷などの研究で極めて高い学術的価値がある。

 劉賀は前漢の第9代皇帝として即位したが、わずか27日で帝位をはく奪され、海昏侯4000戸の領主に格下げされた。歴史上では即位前の王号の昌邑王(しょうゆうおう)と呼ばれることが多い。海昏侯墓からは竹簡と木簡5200枚余りが出土している。専門家の釈読によると「詩経」や「礼記」、祝詞・礼儀に関するもの、「論語」、「春秋」の経伝、「孝経」など儒家の経典とその訓(文字の解釈)や伝(注釈本)が最も多かった。

 朱氏によると、海昏簡本(同墓出土の竹簡、木簡の総称)で現存する「詩経」は1200点余り。これらは篇目(各篇の題目)と詩文に分かれており、「『詩経』三百〇五篇」「『頌』丗篇」「『大雅』卅一篇」「『国』百六十篇」など篇目の数が記されていた。注目すべきは、海昏簡本の「詩経」には「凡千七十六章」(すべてで1076章)と記されていることで、現在に伝わる1142章と大きな隔たりがある。海昏簡本「詩経」は、これまでで文字数の最も多い「詩経」の古代版本であるだけでなく、漢代に最も権威的とされ、その後失伝した「詩経」の学派の一つ「魯詩」の本来の姿を伝えるものと考えられる。 

 海昏簡本の「論語」は500点余りが見つかった。研究者によると「智(知)道」という篇題と現在には伝わっていない簡文が残されており、これらが「漢書・芸文志」に記述のある「斉論」(かつての斉の国で使われ、その後失伝した『論語』)であることを示しているという。簡本と後世に伝わった「論語」は使われている文字が異なっており、現代テキストの「知」が簡本では「智」、「政」は「正」、「能」は「耐」、「室」は「窒」、「旧」は「臼」が使われている。また反語を表す「焉」は「安」が使われていた。  

 海昏簡本の「春秋」は100点余りが見つかった。前漢時代に流行した「春秋経」の注釈には「左伝」「公羊(くよう)伝」「穀梁(こくりょう)伝」の三つがあるが、研究者が比較的文字が鮮明な竹簡20点余りで行った初歩的な調査では、簡文の内容は現代の「公羊伝」「穀梁伝」と共通する部分が多く、また「公羊伝」にだけ見られる記載があることが分かった。内容や文章は現代に伝わるものと差異があり、現代本には見られないものも確認された。漢代は公羊学が流行し、一時は治国の基本的原則とされたことから、海昏簡本「春秋」は「春秋公羊伝」と深い関係があると思われる。海昏簡本「春秋」は、出土文献として初めて見つかった「春秋」の経伝であり、「春秋」の最古の実物資料であるとともに、同時期の歴史を知るための貴重な資料でもある。

 海昏簡本の少数の簡文には、現在に伝わる「礼記」の2種類のテキスト「大戴(だたい)礼記」と「小戴(しょうたい)礼記」および「論語」に見られないものがあるが、これらが「礼記」と「論語」の佚篇と確定するのは現時点では難しいという。朱氏が参加するプロジェクトチーム「海昏侯墓出土簡牘研究」によると、海昏簡本に含まれる「礼記」類の文章には字体や書体が異なる複数の簡本があり、さらに現在に伝わる文献には見られない佚文も含まれることから、「礼記」は漢の宣帝時代(在位紀元前74年~紀元前49年)においても篇の一部を抜き出して単独で流通していた可能性があるという。 

 海昏侯墓は2011年に発掘調査が始まって以降、1万点(組)余りの貴重な文化財が出土しており、漢代の政治や経済、文化の研究にとって重要な意義を持つ。劉賀墓の主槨室(ひつぎを置く場所)の文書資料庫からは5200点の竹簡と木簡が見つかり、さらに主槨室のさまざまな場所から簽牌(竹製の証明書)110点が見つかっている。海昏竹簡の保護と研究は現在も行われており、今後すべての竹簡と木簡の修復と整理が進み、それを基礎とした研究が深まれば、これらの竹簡や木簡でさらに新たな発見もあるだろう。(c)Xinhua News/AFPBB News