■パレスチナの抵抗に学ぶ

 フォレンジック・アーキテクチャーは、2011年にイスラエル系英国人の建築家エヤル・バイツマン(Eyal Weizman)氏によって設立された。同氏はまだ駆け出しだった2002年、ベルリンで開かれた若手イスラエル人建築家向けの国際会議で、イスラエルのパレスチナ占領地におけるユダヤ人入植地について詳細に調査した展示をし、物議を醸した。

 展示内容がパレスチナ自治区ヨルダン川西岸(West Bank)の違法なユダヤ人入植地を批判したものであることが分かると、イスラエルの建築家協会は展示を中止させ、カタログからも抹消。この出来事をきっかけにバイツマン氏は毀誉褒貶(きよほうへん)が半ばする有名人となり、その年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展(Venice architecture biennale)への出品者にも選ばれた。

 バイツマン氏は、自身の実践はパレスチナに負っていると強調する。ミドルイースト・アイ(MEE)のインタビューではこう語った。

「イスラエルの支配に対する抵抗の場は、実験室そのものだといっていい。(パレスチナで)さまざまな抵抗組織が繰り広げる活動は、世界各地で数々の運動を触発してきた。インティファーダ(イスラエルの支配に対するパレスチナ住民の蜂起)という言葉も、ほかの形の抵抗運動に関しても使われるようになっている」

 パレスチナにおける抵抗の経験が世界に与えた影響の大きさを物語る好例として、バイツマン氏が挙げるのがメキシコの事例だ。フォレンジック・アーキテクチャーが取り組んだ事件として有名なものの一つに、メキシコ南部イグアラ(Iguala)市で2014年、警察部隊に襲撃された後に学生43人が集団失踪した事件がある。

 フォレンジック・アーキテクチャーはこの難事件の解明に向けて、当局による科学捜査に対抗する市民社会による科学捜査を指す「カウンター・フォレンジック」など、パレスチナで開発された数多くの手法を活用した。しかし、調査を進める中で、皮肉な事実が明らかになる。なんと、メキシコ側のパートナーの携帯電話やパソコンに、イスラエル製のスパイウエアが仕込まれていたのだ。

「パレスチナ人対策で開発された手法や技術が、今ではシリアとロシアによる爆撃や、ウクライナなど、いろいろなところで用いられている」とバイツマン氏は指摘する。

 フォレンジック・アーキテクチャーがこれまでに調査した事件には、世界でも最も真相究明が難しいものが含まれる。シリアの首都ダマスカス郊外にあるサイドナヤ(Saydnaya)刑務所での拷問や殺害、ドイツ中部カッセル(Kassel)で起きた21歳のトルコ系ドイツ人殺害事件、カメルーンでナイジェリアのイスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」に協力したとして男女らが秘密裏に処刑された事件などだ。

 フォレンジック・アーキテクチャーは、アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)、欧州憲法・人権センター(ECCHR)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)といった人権団体とパートナーを組む一方、政府に協力することは一貫して拒んできた。市民社会や地域社会と違って、政府は自ら調査を実施するのに十分な手段を持っていると考えるからだ。