【1月13日 東方新報】荷物を抱えて、故郷の中国・浙江省(Zhejiang)杭州市(Hangzhou)小源村に戻ってきた趙盛(Zhao Sheng)さん(33)。久しぶりの帰省だが、自分の家には直接帰らず、たくさんの土産物を携え、「親父」こと韓倫語さん(56)の家に向かった。

 小源村の人口は約2300人。趙さんの父親の趙敏華(Zhao Minhua)さんと韓さんは、幼い頃から一緒に育った「竹馬の友」だ。

 小源村では、家々がみなアブラナを植えている。趙さんと韓さんは1989年、わずかな貯蓄をはたき、2人で小さな搾油工場を建てた。

「当時、1日に1トンの菜種を絞った。俺ら夫婦と敏華夫婦の4人で代わるがわる働き、夜も2交代で機械を24時間動かし続けた。俺と敏華は油と油カスの分離をやったので、休みはほとんど取れなかった」と韓さんは振り返る。

■友の息子は俺の息子、友の両親は俺の両親

 両家の生活が良くなりかけた頃、趙家に災難が降りかかる。

 1998年、敏華さんの妻が胃がんのため1年もたたずに他界。当時、趙家の次男はまだ3歳だった。敏華さんは妻を失った悲しみに暮れたが、生きるためには、働かなければならない。出稼ぎに出て工事の請負仕事をやった。きつい仕事による過労が原因となったのか、敏華さんも3年後に心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となった。

 趙家には、年老いた祖父母と2人の息子、当時15歳の趙盛さんと6歳の趙康さんが残された。

 韓さんはその時、心に決めた。本当の父親のように2人の息子の面倒を見よう、本当の息子のように敏華の両親の面倒を見よう、と。