【11月7日 AFP】ドイツで6日、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツの強制収容所で起きた大量虐殺に関与した元ナチス親衛隊員(SS、94)の公判が始まった。法廷で被告が涙を流す場面もあった。

 被告はドイツ西部ノルトライン・ウェストファーレン(North Rhine-Westphalia)州ボルケン(Borken)郡の出身で、1942年6月から1944年9月までの間、現ポーランドのグダニスク(Gdansk、ドイツ語名 ダンツィヒ Danzig)の近くにあったシュトゥットホーフ(Stutthof)強制収容所で看守を務めていた。

 被告は当時18~20歳だったため少年法によって裁かれている。氏名は公表されていないが、ドイツのメディアは「ヨハン・R(Johann R.)」という名前の引退した造園家で離婚歴があり3人の子供がいると報じている。

 被告はウールのスーツに身を包み、つえを手に車いすに乗ってミュンスター(Muenster)の地方裁判所に出廷。強制収容所に収容されていた数百人の殺害を手助けしたとして起訴されており、起訴内容には1944年6月にポーランド人収容者100人以上をガス室に送ったこと、さらに同年8月から12月の間にナチスの「最終的解決」(欧州のユダヤ人絶滅計画)に加担し「数百人」のユダヤ人を殺害した罪などが含まれている。

 出廷直後は落ち着いた様子を見せていた被告は、米国やイスラエルに在住するホロコースト生存者たちの書面による証言が弁護士らによって読み上げられると涙を流し始めた。米インディアナポリス(Indianapolis)に住む生存者の女性は、「(被告は)愛する母を殺すのを手伝った。私は生涯母を恋しく思って生きてきた」と証言した。

 AFPの取材に応じた検事は、被告は看守として殺害に関与し、どのような方法で被収容者が殺害されていたかも知っていたと強調した。一方日刊紙ウェルト(Die Welt)の報道によると、被告は2017年8月の警察の取り調べで強制収容所での残虐行為については知らなかったと供述していた。

 有罪になれば15年以下の禁錮刑となる可能性があるが、高齢であり上訴する可能性もあることから実際に服役することはないとみられている。

 現在は博物館として公開されているシュトゥットホーフ強制収容所の管理当局によると、同強制収容所は1939年に設置され11万人を収容し、うち6万5000人が死亡したという。(c)AFP/David COURBET