ヘラートガラス工芸、戦乱で危機に陥るアフガニスタンの伝統
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■「もう終わり」
古代シルクロード交易の中心地で、15世紀にはティムール(Timur)帝国の首都として歴史が染み込んだヘラートはかつて、大勢の外国人観光客を引き付けていた。だが、数十年に及ぶ戦争で彼らは寄り付かなくなってしまった。
またアフガニスタン人の多くも、壊れやすい手作りのガラス器よりも安価な中国製の輸入品を選ぶようになっている、とサーキさんは言う。
煙の立つ工房で唯一、現代を感じさせるものは、サーキさんの横にある青いノキア(Nokia)製の携帯電話と、燃えるような暑さの中で激しく音をたてている扇風機だ。
この工房の持ち主のスルタン・アフマド・ハミディ(Sultan Ahmad Hamidi)さん(78)は、自分の店でヘラートガラスやアクセサリー、手工芸品を販売しながら毎日をのらりくらりと暮らしている。だが、事業の将来性には絶望的だ。「30~40年前は1日当たり100人もの観光客が行列をつくってガラス器を買っていたものだった」と語る。
大きなモスクから交通の激しい通りを渡ったところにあるハミディさんの店は、ほこりをかぶったヘラートガラスのゴブレットや花瓶、鉢などがあふれている。価格は6ドル(約650円)前後からだが、100個売るのに1か月かかるとハミディさんはこぼす。
ヘラートガラスが衰退するのに伴い、サーキさん一家の生活はどんどん苦しくなっている。ハビブラさんは市内に出て三輪タクシーで客を運び、ガラス製作によるわずかな収入を補っている。
だが、政府の補助金や観光がなくなれば、サーキさんは自分が最後のヘラートガラス吹きになってしまうと恐れている。「とても悲しい」とサーキさん。「このままだと、もう終わりだ」(c)AFP/Allison JACKSON