■ナチスの写真が手掛かりに

 調査の鍵となったのは、ナチスの戦闘機パイロットによる1942年のモスクワの空撮写真だった。埋葬場所がまだ「出来たて」のころだ。この写真によって、当時の付近一帯の木の高さが確定できた。

 歴史学者は、これらの木の一部は、遺体が埋められたばかりの場所に植えられたと結論付けた。NKVDが処刑の痕跡を消すためによく使っていた手段だ。次は、犠牲者の遺体が実際に埋められた穴の特定に移った。

 スターリン時代の犯罪について記録や実証を行っている人権団体「メモリアル(Memorial)」の幹部、ヤン・ラチンスキー(Yan Rachinsky)氏によると、1937~38年のスターリンによる「大粛清」では、モスクワだけで約3万人が射殺されたと推計されている。

 1980年代ペレストロイカ(改革)時代に短期間だが情報が開示され、KGBがスターリン時代の犠牲者に関する資料を、ジャーナリストやメモリアルに送ってきたと同氏は語る。

 射殺され、その後すぐにコムナルカに埋められた人々の中には、政府高官や科学者も含まれていた。「モンゴル政府(の関係者)はほぼ丸ごと、そこに埋められた」と、ラチンスキー氏は言う。当時、モンゴルはソ連の衛星国だった。

 また、バルト三国のエストニア、リトアニア、ラトビアの政府関係者の多くも、1940年代ソ連に占領された後、そこで処刑された。

 だが、ラチンスキー氏によると、ロシアの治安当局が旧ソ連時代の資料公開をやめたため、コムナルカに遺棄されたと考えられている1000人以上が身元不明のままだという。「(ロシア当局は)突然、われわれにファイルを送るのをやめた」。現在のロシア当局は、ソ連時代の犯罪暴露には無関心だと同氏は非難する。

 一方、グラグ歴史博物館のロマノフ館長は、もっと楽観的だ。先ごろ、モスクワ中心部に政治弾圧の犠牲者を追悼する施設ができたときに、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が、式典に出席していたためだ。

 ロマノフ氏は、モスクワ以外の地域もコムナルカの「前向きな先例」に続いて、スターリン時代の犠牲者の大量埋葬地の「正確な位置」を特定してほしいと語る。

「そのような場所は今も秘密のままだ。どこに遺体があるのかさえ知られていない。大きな森の中にそのような場所がある、ということしか分かっていない」 (c)AFP/ Ola CICHOWLAS