■急進的進歩主義者

 カショギ氏は1958年10月13日、サウジの聖地メディナ(Medina)で生まれた。青年時代はイスラム教のイデオロギーを学ぶ一方、自由主義的な考えも吸収した。

 しかしサウジ当局に急進的進歩主義者とみなされ、2003年に日刊紙アルワタン(Al-Watan)の編集長を在職わずか54日で辞任に追いやられた。

 長年にわたり当局と複雑な関係を保ったカショギ氏はサウジの情報局長官を20年以上務めたトゥルキ・ファイサル(Turki al-Faisal)王子の顧問を務めるなど、サウジ政府や米政府の顧問職を歴任。ファイサル王子が2005年に駐米大使に任命されると、共に渡米した。

 カショギ氏のウェブサイトによると、同氏は2007年、アルワタン紙に復職。しかし、「サウジ社会の議論の限界を押し広げる編集方針」を理由に、約3年で解雇された。

 同氏は富豪のアルワリード・ビン・タラール(Al-Waleed bin Talal)王子と親交を深め、バーレーンの首都マナマで24時間放送のニュース局アルアラブ(Al-Arab)を共に立ち上げた。

 しかし、2015年にアルアラブが反体制的な人物のインタビューを放映すると、サウジの忠実な同盟国バーレーンは24時間足らずで同局を閉鎖させた。

■「恐怖と脅迫」の新時代

 ムハンマド・ビン・サルマン(Mohammed bin Salman)王子が中東最強国家サウジの皇太子に指名されてから数か月後の2017年9月、カショギ氏はサウジを出て国外に逃れた。

 2017年11月、アルワリード王子のほか当局者や実業家数百人が、「汚職取り締まり」の名目で拘束された。

 昨年ワシントン・ポストに寄稿した記事の中でカショギ氏は、事実上の統治者サルマン皇太子の下で、サウジは「恐怖と脅迫、逮捕、公の場での辱め」の新時代に突入していると訴えていた。

 同氏は、サウジ政府が「テロ組織」に指定しているムスリム同胞団を擁護したとして、汎(はん)アラブ紙アルハヤト(Al-Hayat)への寄稿を禁じられたと話していた。

 またカショギ氏がドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領には「当然、相当の注意を払わなければならない」と発言したところ、サウジ当局は同氏にツイッター(Twitter)の認証済みアカウントの使用も禁じたという。

 カショギ氏は、サウジのイエメン内戦への介入や、サウジをはじめとする国々がカタールと断交したことも批判していた。

 同氏は今月、トルコ人婚約者ハティージェ・ジェンギズ(Hatice Cengiz)さんと結婚する予定だった。今月13日には60歳の誕生日を迎えるはずだった。(c)AFP