【9月17日 CNS】香港全土を縦横無尽に走り回る香港市民の足、「紅色ミニバス」。運転手の個人経営で、ルートが決まっておらず、始発と終点だけ決まっている。

 運転席の前には行先を記したプレートが掲げられており、青い文字で書かれているのが始発、赤い文字が書かれているのが終点だ。毎日、客の都合でルートが変わるのだ。

 パソコンなどが普及していなかった頃、紅色ミニバスのプレートの文字はすべて手書きだったが、需要は少しずつ減っていった。しかし、手書きプレート職人、麦錦生(Mai Jinsheng)さんは、伝統工芸としてプレートを書き続けている。

 麦さんは、お店に掲げる看板などの制作会社を経営していた。会社の近くにミニバスの停留所があり、ある運転手から頼まれて制作したのがきっかけで、ミニバスの行き先プレートを書くようになった。

 香港政庁は1970年、「ミニバス」を正式に認めた。交通インフラが整備されていなかった時代、紅色ミニバスは香港市民の足として必要とされていた。当時は景気が良く、麦さんの稼ぎ時だった。会社に10人ほどの職人を呼び、制作を手伝ってもらっていた時期もあったという。

 香港の交通網が次第に整備され始め、ミニバス業界は次第に傾き、多くの手書きプレート職人が辞めていった。そんな中、麦さんだけはこの業界に留まり、香港で唯一の手書きプレート職人となった。

 行先プレートの需要は少なくなったが、麦さんは自分の書いたプレートをキーホルダーにして販売するようになった。キーホルダーは香港の記念品として、観光客や学生に人気があり、観光シーズンの時には数千個も売れたこともあるという。麦さんは、「プレートは書き続ける。この伝統工芸がずっと続くことを願うよ」と話した。(c)CNS/JCM/AFPBB News