■農家に転身

 ババ・ジョンさんは、自分の犠牲者から取った体に合っていない服を着て、母と5人のきょうだいが住む家に戻った。

 ピボルは開けた平原にある今にも崩れ落ちそうな町だ。薄汚れた仮設滑走路には、この町で最も大きな建物である格納庫ほどの大きさのテントがあり、非常時の食糧が入った袋が保管されている。

 紛争や苦しい生活は続いているが、ババ・ジョンさんは希望に満ちている。細身の体にこざっぱりとしたストライプのシャツを着て、腕にビーズのブレスレットをはめていている。足元ははだしだが、顔には笑みが浮かんでいる。ババ・ジョンさんは今、新米農家として、作物の植え付け、栽培、収穫を学んでいる。「農家になって、家族を助けたい」とババ・ジョンさんは言う。

 ドイツの国境なき獣医師団(VSF)は、ピボルで元子ども兵士のための事業を実施している。VSFのムラグリ・ワチラ(Muraguri Wachira)氏は、体系的な教育プログラムに集中させ、新たな技能を習得させることが、元子ども兵士の精神的回復を助けると指摘する。「この支援事業には現在、約1500人が参加している」と、ワチラさんは言う。

 ババ・ジョンさんは今でも悪夢にうなされることがあるが、戦いのない未来を思い描くことができるようになってきた。

■人生で学んだことは不確かな未来

 だが、実現するのは簡単ではない。

 最もいい状況の時でも、南スーダンでの生活は厳しい。現在は、また破滅的な内戦の最中で、過去最悪の状況となっている。多くの子ども兵士にとって、民兵に加わることは単に生き延びるための現実的な手段なのだ。

「ここはまだ安全ではなく、十分な食べ物もない」と、ババ・ジョンさんは言う。

 10歳で母親と一緒にコブラ派に参加し、後に村に戻ったマーサさん(16)は、「民兵に戻った人を大勢知っている。空腹で希望が見えなかったためだ」と指摘する。

 18歳のトマスさんは、何年間も民兵への出入りを繰り返してきた。「戦闘、殺りく、略奪──すべてを見てきた」と、トマスさんは語った。

 トマスさんは地元の公務員になって、子どもたちの権利の保護を訴えることを夢見ている。だが、これまでの人生でトマスさんが学んだことがあるとすれば、何事も確実ではないということが挙げられる。

「民兵には戻りたくない」とトマスさんは言う。「だが、南スーダンでは何が起こるか誰にも分からない。また襲撃されるかもしれないし、そうなったら選択肢は限られる──逃げるか、隠れるか、あるいは立ち向かうかだ」 (c)AFP/Stefanie Glinski