「記憶に留めておく一枚の報道写真」

女性たちが水を運ぶ姿を見たことのある日本人は大勢いるだろう。しかし、その姿の背景まで考えたことのある日本人は一体どれほどいるだろうか。「彼女たちはなぜこれほど大量の水を運んでいるのだろうか。」「彼女たちの周りにはなぜ一面荒野が広がっているのであろうか。」「少女はなぜ昼間にもかかわらず学校に行っていないのか。」そして「なぜ、『彼女』たちが行っているのか。」
これらの問いは、蛇口を一捻りしただけで透明な水が溢れる日本、子供が学校で教育を受けることが当たり前となっている日本では考えられにくい。しかし、水資源の枯渇が進んでいる世界において、日本も決して例外ではない。このような現在、「彼女たち」を「自分たち」に置き換え、「水」という最も身近な資源について考える必要があるのではないだろうか。それらを考えるうちに、「彼女たち」が決して人ごとではないのだと気がつくはずである。そして、「水」という最高の恩恵を再認識するはずである。


東京女子大学 渡辺絢華 資源環境セクション