【8月19日 AFP】ミャンマー出身のラカイン(Rakhine)人仏教徒であるミンミン(Min Min)さんはバングラデシュで、自身が船長を務める船から、イスラム教徒の少数民族であるロヒンギャの労働者たちが、ショウガを詰めた袋を担いで荷下ろしする様子を見つめていた。ミンミンさんは難民危機がつくり出したビジネスチャンスをつかんだ一人だ。

 ミンミンさんは「争いについては心配していない…全てがただのビジネスだ」と言い、船から積み荷が降ろされるのを待ちながらウイスキーやたばこを差し出し、ビンロウの実によって赤く染まった歯を見せて笑った。

 バングラデシュ南東部コックスバザール(Cox's Bazar)には、ミャンマーからおよそ100万人のロヒンギャ難民が滞在しており、その大多数は昨年ミャンマー軍やラカイン人の群衆によって国を追われた人々だ。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャは「ベンガル人の侵入者」とみなされている。

 ロヒンギャの人々のためのキャンプは今や、丘陵地帯や農地にまで拡大したテント村の様相を呈している。

 だがその中では、支援金が呼び水となって、さらには食料、住まい、仕事を必要とする多くの人々、そして消費財を購入する余裕がある人々が形成した市場によって、新しく、かつダイナミックな経済が駆動している。

 数世代にわたって続けられてきた貿易によって、ラカイン人とロヒンギャ人、さらには両国を往来するバングラデシュ人の間に存在する宗教的な対立関係が希薄化した面もある。

 昨年8月、ミャンマーではロヒンギャ人の村が多数焼き払われ、70万人ものロヒンギャ人がバングラデシュに流入したが、その時すら商業が妨げられる事態になることはほとんどなかった。

 空には煙が漂っていたものの、ミンミンさんはミャンマー産品の移送を止めることはなく、米やショウガ、化粧品、麺類、ロヒンギャ人の店でよく見かける木の実などを、バングラ側にあるテクナフ(Teknaf)の港に輸送し続けたという。

 同じラカイン人で、バングラデシュ側の国境で輸入事業を営むミンミンさんの友人は、難民の流入はビジネスにとって良いことだと語り、「ロヒンギャ人はタフだ。昼も夜も働く。賃金も高くないしね」と述べた。

 難民たちの帰還がすぐには実現しそうもない状況の中、お金や仕事は平和を維持する最良の手段だ。

 シャムラプル(Shamlapur)難民キャンプの外にある浜辺で、ロヒンギャ人の漁師モハマド・ホサイン(Mohammad Hossain)さんは20年かけて働き、漁船員から2隻の漁船の共同所有者に上り詰めた。

 モンスーン真っ盛りの時期は危険を伴う仕事となるが、意欲ある船員が不足することはなく、海に乗り出す船の数も漁獲高も増えている。

 30歳のホサインさんは「バングラデシュ人は海を怖がる。だがロヒンギャ人は海辺で暮らしてきたので慣れている」「リスクのある仕事だが、ロヒンギャ人はここで他にやれることはない」と話した。(c)AFP/ Aidan JONES, Redwan AHMED