■「母は怒った」

 メンバー48人のうち大半は60代で、他の数百万人のフィリピン人と同様、1日5ドル(約560円)以下で暮らしている。普段のなりわいは皿洗いや街角での行商、街路の清掃などだが、午後になると現実の生活の扉は閉じられる。

 ショーの前の舞台裏には、香水と昼食に出される揚げ物の匂いが立ち込める。男たちはドレスのすそを手繰り寄せ、手鏡をのぞいて入念に化粧をチェックする。使い古したスピーカーから鳴り響くひずんだ音楽とともにショーが始まると、出演者18人がジャズダンスを踊りながらステージを歩き、ポーズを決める。観客の中の友人やサポーターたちの膝の上に座る出演者もいる。

 ショーを行っているのはここ数年だが、ゴールデン・ゲイのルーツはさらに深いところにある。

 1970年代半ばにホームレスや貧しい高齢のゲイ男性が一夜を過ごせる家として、マニラ郊外にゴールデン・ゲイのホームが創設された。だが、ホームを創設し、所有者でもあった活動家でコラムニストのフスト・フスト(Justo Justo)氏が2012年に死去すると、遺族は数日のうちにゲイたちのグループを追い出しにかかった。だが、彼らは離散せずに踏ん張り、メンバーの多くが実生活では持っていない「家族」同士として残った。

 ゴールデン・ゲイの古参メンバー、フェデリコ・ラマサミさん(60)は、自分がゲイであることを知った両親から拒絶されてマニラに向かい、二度と家には戻らなかった。「私は1950年代の終わりに生まれたから、家族観がとても重かった」とラマサミさん。「母親は私がゲイだと知って、とても、とても怒った。私は追い出された」