【11月23日 AFPBB News】 2003年11月26日に超音速旅客機「コンコルド(Concorde)」が全機退役してから15年を迎える。そこで今回、1956年の計画から営業飛行を終了した2003年10月までの同機の歴史を振り返る。

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 始まりは1956年11月4日までさかのぼる。英王立航空協会(Britain's Royal Aircraft Establishment)が、音速よりも速い旅客機の開発計画を立て、超音速輸送機の委員会を設立。そして1961年6月から7月にかけ、英航空機メーカー「ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(British Aircraft CorporationBAC) 」 とフランスの航空機メーカー「シュド・アビアシオン(Sud Aviation)」によって共同開発へ向けた初めての会議が行われた。

 1963年1月にシャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)仏大統領(当時)が初めてこのプロジェクトについて「コンコルド」と言及。1967年12月にはコンコルドの原型「コンコルド001(Concorde 001)」がフランス南部トゥールーズ(Toulouse)で1000人以上のゲストの前でお披露目されると、1969年3月には原型機の初飛行を果たし、10月1日には初めて音速を超えたスピードを記録した。

 1975年5月には「コンコルド203」に超音速輸送機の試験機の中で初めて耐空証明が交付されると、1976年1月から商業利用が開始された。英航空会社ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways)がロンドンからバーレーンまで飛行し、仏航空大手エールフランス(Air France)はパリからダカール経由でリオデジャネイロへ飛行した。そして同年5月、米国の首都ワシントンへ向けた大西洋横断路線の運航が両社によって同時に開始された。

 2000年7月25日、パリのシャルル・ドゴール空港(Charles de Gaulle airport)でエールフランスの運航するコンコルドによる墜落事故が発生し、乗客乗員109人と地上の4人が死亡した。事故の主な原因は、滑走路に落とされた旅客機の部品によりコンコルドのタイヤが破裂し、その破片が燃料タンクに穴を開けたことだった。

 エールフランスはコンコルドの運航を即日停止したが、ブリティッシュ・エアウェイズは事故翌日に運航を再開。しかし、事故から1か月後の同年8月にブリティッシュ・エアウェイズは耐空証明の撤回をもって同機の運航を停止した。そして2001年11月に改修を経て、コンコルドの商業運航が再開された。

 2003年4月、ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスは、維持費の高騰および乗客数の少なさからコンコルドの退役を共同声明で発表した。これを受けて英ヴァージン(Virgin)グループ創業者のリチャード・ブランソン(Richard Branson)氏が、ブリティッシュ・エアウェイズが所有するコンコルドの買収を申し出たが却下された。

 同年5月31日にエールフランスによるコンコルドの最後の商業運航が行われ、10月24日にはロンドンのヒースロー空港(Heathrow Airport)着の著名人及び職員を乗せた3便の運航をもってすべての営業飛行が終了した。(c)AFPBB News