【7月29日 AFP】「アクロポリス(Acropolis)?それならこっちの方向だ」。アクロポリスの北東斜面にひっそりとたたずむ歴史的地区、アナフィオティカ(Anafiotika)の住民が、狭く曲がりくねった路地で道に迷った観光客に道を教えるのは、日常茶飯事だ。

 ギリシャの首都アテネの中心部にあるアナフィオティカには、色とりどりのペンキが塗られたよろい戸やドアのついたしっくい塗りの小さな家々が、100軒あまり立ち並んでいる。ギリシャの島から飛び出してきたような家の屋根はタイル製で、家自体が「アナフィオティカ」という名で知られている。その歴史は、近代ギリシャの首都が作られたころまでさかのぼる。

 バイエルン(Bavarian)の王子、オソン1世(Otto)がギリシャ王に即位した1832年、アテネはオスマン帝国との長年にわたる独立戦争で荒廃していた。

 国の首都にふさわしい外見を取り戻そうと、オソン1世はエーゲ海(Aegean Sea)に浮かぶキクラデス(Cyclades)諸島のアナフィ(Anafi)島から有名な石工たちを呼び寄せて、再建させた。

 短期間で完成させるため、石工たちは故郷の家々を模した家を建設。建設地には、パルテノン(Parthenon)神殿など古代の建物があるアクアポリスの丘の麓という最高の場所が選ばれた。

 これは、厳密に言えば違法だった。だが、1862年にオソン1世が追放されるとギリシャは政治的な大混乱に陥り、特に第2次大戦後にアテネが急速に都市化される中で、アナフィオティカはそのままとり残された。

 皮肉なことに、かつては違法だったアナフィオティカの建物は、今やアテネの近代建築遺産となっており、文化・スポーツ省はその保護に力を入れている。(c)AFP/ Hélène COLLIOPOULOU