【6月9日 AFP】ブラジル出身の伝説的テニス選手、マリア・ブエノ(Maria Bueno)さん(78)が8日、死去した。ブエノさんのおいがスポーツニュースサイト「グロボ・エスポルテ(Globo Esporte)」で明かした。

 ウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon)のシングルスで通算3度、全米オープンテニス(US Open Tennis Championships)で同4度優勝した実績を持つブエノさんは、昨年から口腔(こうくう)がんを患い、先月に入院していた。

 自身が1978年に名を刻んだ国際テニス殿堂(International Tennis Hall of Fame)によると、ネット際での強さから「サンパウロのツバメ」との相性をつけられたブエノさんは、本格的なコーチングを受けたことはなかったにもかかわらず、神童として頭角を現した。

 まず母国ブラジルで圧倒的な結果を残すと、カリブ海のサーキットに戦いの場を移し、その後は英国やオーストラリアのトップ選手たちを破って1958年にイタリアで行われた大会(現イタリア国際<Internazionali BNL d'Italia>)を制し、世界的な注目を集めた。

 同年には米国のアリシア・ギブソン(Althea Gibson)氏と組んで出場したウィンブルドンで女子ダブルスのタイトルを獲得。記者には「対戦する全ての選手が怖い」と話していたが、これはまだ輝かしいキャリアの序章だった。

 その後はスタイリッシュかつ、見る人を興奮させるプレースタイルで翌年のウィンブルドンのシングルスを制し、南米出身の女子選手として初の偉業を達成。最終的には四大大会(グランドスラム)で単複通算19勝を挙げ、1959、1960、1964、1966年の世界ランクで1位となり、ブラジル史上最高の選手となった。

 引退後は母国で解説者として活躍していたブエノさんの死をめぐっては、ブラジルのツイッター(Twitter)上で哀悼の声が多く寄せられており、ミシェル・テメル(Michel Temer)大統領は「(ブエノさんは)ナンバーワンのテニス選手として、いつまでもブラジル国民の心の中にあり続けるでしょう」とつづった。

 また、女子テニスのベアトリース・ハダード・マイア(Beatriz Haddad Maia)は、ブエノさんはコート内外で「常にものすごい闘争心を見せてくれた」とすると、男子のトーマス・ベルッチ(Thomaz Bellucci)は「テニスのことを知らない人がほとんどで、今より断然難しい時代だった私たちの国におけるパイオニアだ」とツイートしている。(c)AFP