内戦と国内外避難で激変したシリアの人口分布図
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■非難の応酬
ムカサルさんはシリアの新たな宗派分布として次のような概略を語ってくれた。「北部がスンニ派、北東部がクルド人。(沿岸部の)ラタキア(Latakia)、タルトス(Tartus)、ホムスがアラウィ派とシーア派だ」
2011年の内戦開始前は、人口の65%をスンニ派アラビア人が占め、15%がクルド人、残る約20%を少数派の教徒が占めていた。シリア専門家のファブリス・バランシュ(Fabrice Balanche)氏によると、内戦が始まり、アサド政権の支持者とみなされていたアラウィ派とキリスト教徒らは反体制派によって各地で追放された。アサド政権側は支配地域を失ったが、その周辺のアラウィ派、シーア派、キリスト教徒がかえって結束し、より強固な拠点となったという。「現在、シリア人口の70%が政権側の支配地域内にいる。そのうち3分の1以上が少数派だ」
こうした人口移動の一部は、「4都市交渉」を含む住民交換を通じて生じたものだ。4都市交渉とは2015年以降、フア(Fuaa)とケフラヤ(Kafraya)の多数のシーア派村民を首都ダマスカス(Damascus)へ移動させ、マダヤ(Madaya)とザバダニ(Zabadani)のほぼ同数のスンニ派教徒をシリア北部へ移動させて物議を醸した住民交換だ。
アサド大統領は2017年のAFPのインタビューで、住民の移動が「強制的」だったことを認めたが、「一時的」な措置だとも述べた。だが、少数派は帰郷は想像できないと言う。
一方、クルド人が多くを占めるシリア北西部アフリン(Afrin)では今年に入り、トルコ軍の攻撃によって13万7000人超が近隣のアサド政権地域、またはさらに北東のクルド人地域への避難を余儀なくされた。避難した彼らの元の家には今、他の避難民たちが住んでいる。それには、反体制派の拠点だったダマスカス近郊の東グータ(Eastern Ghouta)地区からバスで移住させられた約3万5000人も含まれている。自分たちの住まいを占拠された、あるいは破壊されたアフリンの元住民たちは、帰還は遠い夢だと考えている。
クルド当局は民族分布の変化はトルコ政府のせいだと非難している。観測筋によると、トルコ当局は自国領内に逃れているシリア難民350万人をアフリンに再定住させたいとも考えている。
非難は双方向に行きかっている。アラブ系シリア人は、クルド人戦闘員らがイスラム過激派を退却させた後も、北部の故郷に帰ることを妨害していると非難している。
破壊が広範に及んでいること、さらに不動産の返還に関する法律の複雑さから、一時的とされた移住状態が永久化してしまうのではないかという不安も高まっている。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)のダイアナ・セマーン(Diana Semaan)氏は、こうした政治状況に対し「移行期正義」の発動を求める声も上がる中、真の和解はいまだ見通せないと述べている。(c)AFP/Maya Gebeily and Rouba El Husseini