【AFP記者コラム】サウジの驚き
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【5月28日 AFP】昨年8月に初めてサウジアラビアへやって来たとき、私は正直少々おびえていた。かの地での女性の扱いについてはたくさん聞いたり読んだりしていたので、ビデオジャーナリストとして正当に活動できないのではないかと懸念していた。服装も違えなければならないだろうし、アバヤ(全身を覆う民族衣装)を着ることになるだろうし、何よりもカメラを手にした私自身が街角や、あるいは公的な場で人々にどう受け入れられるのか心配だった。
男性の同僚たちはまったく当てにならなかった。私がサウジへ到着すると、彼らは「どうやっていくつもりなんだ?」と尋ねた。「一人でタクシーを捕まえる気か?まったくお勧めできないぞ!」
だが、彼らの懸念には根拠がないことが明らかになった。私は男性の役人たちも含め、行く先々で歓迎され、受け入れられた。
■千載一遇の好機
私にとってサウジアラビア赴任は、千載一遇のチャンスだった。私は故郷であるレバノンの首都ベイルートで、両親の反対を押し切ってジャーナリズムの世界へ入った。両親からは若い女性向きの仕事でないとか、お前じゃ十分稼げるようにならないとか、私生活の障害になるぞとか言われたが、私は他の女性たちの見本となって社会に変化をもたらしたかった。そして先にはまだ長い道のりがあるけれど、小さなことでは目標の一部を成し遂げてきたと思っている。
ここへ来てまもなく気付いたことは、女性のジャーナリストであることがしばしば有利に働くという点だ。この王国では今現在、多くの変化が起きているが、中でも女性関連の変化は最も象徴的だ。皆さんも恐らく皇太子の汚職撲滅運動と同じくらいとは言わないまでも、女性が運転できるようになるとかスポーツ観戦ができるようになったといったニュースを聞いたことがあるだろう。
しかし今でも国としては非常に保守的で、女性に関するテーマを取材する唯一の方法は、女性の記者を派遣することなのだ。私ならば入れる──私は夜、タクシーを拾うことはできないかもしれないが、男性の同僚は女性専用コンサートや女性用のジムには入ることさえできない。
もちろん、いらつくこともいっぱいある。ベイルートで取材現場に急行しなければならないときには、車に乗り込んで飛んで行っていた。しかし、ここでは女性は運転を禁じられているので、いつもタクシーか自分の夫に頼らねばならない。リヤドの外へ行く必要があるときは、取材を終えるまでタクシーを待たさなければならない。また夜は一人でタクシーを拾うのは危険だから、リヤドで夜、撮影しているときには男性の同僚に頼んで車で連れ帰ってもらわねばならない。
それからもちろん、アバヤを着ないといけない。外が暑いときに路上で撮影していると、まるで自分が溶けていく気がしてまったく着たいとは思わない衣装だ。それから私はタリア(Tahlia)通りのカフェの表に座ってみたいのだが、ここは現在、男性専用だ。
それでも、こんなに多くの変化が起きているこの時期に、この国での仕事に取り組める自分は幸運だと思う。
また私自身が通常、男性の職業だと思われている仕事をしている女性だということで、自分が取材する女性たちとも強い絆を持つことができる。つながりが強くなれば取材対象はいっそうオープンに、フランクになるので、良い記事を作成する上で役立つ。女性の運転を解禁する方針を当局が発表した直後、私は女性専用のカフェへ行き、彼女たちの反応を撮影した。インタビューした女性たちは本当に喜んでいて、私が「そうそう、そういうコメントが欲しかった!」と思うような言葉を口々に繰り出していた。まるで空気を通じてその喜びを伝播させているようだと思った。
もう一つの利点は、家族に関する記事を作成できることだ。家族というものは伝統的に非常に私的な領域だとみなされているため、レポーターとしてその中へ入っていくのは難しい。取材者が男性の場合は特にだ。サウジの多くの人は、家の中で女性と家族以外の男性が同席することに眉をひそめる。そこで、ここでもまた多くの人が私のハンディだと思っている点が実は役立つ。つまり女性で、外国人で、外国の通信社のために働いているということが、あたかも魔法のように状況を変える。
時に取材した女性たちが、心の中にあることをそのまま私に語っていると思うことがある。現地メディアでは恐らく報道できないことを、我々ならば報道できるということを彼女たちは分かっている。女性の運転解禁関連で取材した女性たちの反応は、その率直さといい感情の表れといい、驚くものだった。
唯一、障害になるのはカメラだ。サウジの女性たちはあらゆる種類のことを私に語ってくれるが、カメラがあるときには常にそうすることを恐れる。私にとっての挑戦は、記録として撮影することを彼女たちに納得してもらうことだ。もちろん彼女たちを不名誉や危険にさらすことのないようにだ。
この点で最も誇れる瞬間の一つがある。サウジで初めてガソリンスタンドで働く女性、メルバト・ブクハリ(Mervat Bukhari)さんにカメラの前に立つことを納得してもらったときだ。最初、彼女は顔を出したがらなかった。それからホバル(Khobar)にあるスタンドで男性の部下に指示をしている様子を撮影されるのを嫌がった。
けれど私は、それこそがまさに彼女の仕事の内容でしょうと説明した。自分の仕事がどんなものかを思い切って公開すれば、今日のサウジ女性にはどんな生き方があり得るのか、本当の例になると言って説得した。結局、彼女から仕事中の撮影の許可を得て、私は非常に誇らしかった。彼女は勇気をもってそうした。そして、そのことが他の女性たちに違いをもたらすことを私は確信している。
さらに、すごく驚いたことの一つは、私がビデオ・ジャーナリストであることが、男性たちとの交流の妨げにならなかったことだ。カメラマンは「男らしい」仕事の一つとみなされていて、「カメラウーマン」の存在は極めて珍しい。街角で撮影していると、男性たちは私を見てかなり驚く。それで中でも好奇心の強い男性が寄ってきて、何をしているのかと私に尋ねる。だが、彼らはいつも非常に礼儀正しい。乱暴な話し方をしてくる男性は皆無だ。私が運ぶにはカメラが重過ぎるんじゃないかと気を遣ってくれる男性もいるくらいだ…。
この国で女性がジャーナリストとして働くことは簡単だと言うつもりはない。やはり依然、非常に伝統的で保守的な社会ではある。けれど他者に敬意を払えば、他者からも敬意を払われるということを私は発見した。
このコラムはサウジアラビを拠点とするビデオジャーナリスト、ラニア・サンジャル(Rania Sanjar)がAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年3月21日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。