■「脱北者の『汚名』をすすぐことはできないのかもしれない」

 脱北者の失業率は韓国全体の割合の2倍近い7%に上り、その一方で、月収は全国平均の約半分程度。ある研究では、脱北者の約20%が詐欺や窃盗、その他の犯罪の餌食になっていることが明らかにされ、定着を支援する目的で国から支給された約1万9000ドル(約200万円)の助成金を失う人も多いことが指摘されている。

 チュさんが2002年に韓国に亡命した理由の一つには、南北軍事境界線に沿って韓国軍が設置していた巨大なスピーカーから大音量で聞こえてきた「自由で豊かな暮らし」を約束する放送に引かれたこともあった。当時チュさんは、その境界線の北朝鮮側で自国のプロパガンダを流していた。

 警備の職務を放棄したチュさんは、電流有刺鉄線の柵の下をはって地雷原を歩き、わずか30分でDMZを渡り切った。

 だが韓国社会が強いる抑圧は、チュさんにとっては衝撃的だった。

「私が突然、身を置かれたのは、適者生存のルールに支配された超競争社会だった」とチュさんは書きつづっている。「この現実は、私が一人で軍事境界線を越えたあの凍える夜よりも冷たかった」「私は、脱北者という『汚名』をすすぐことは決してできないのかもしれないと悟った」

 学位を取得した後でさえも、自分が脱北者であることを明記した100通以上の求人応募書類はことごとくはねつけられた。だが脱北者であることを隠した途端、面接までこぎ着けられるようになり、仕事のオファーさえいくつかもらえるようになった。

 チュさんは現在、いくつかの大学で教えている。そんな自らの立場は「ラッキーで珍しいケース」だと語った。

 チュさんの本には、痛ましい話がいくつも書かれている。ある脱北者は、苦労して大学の卒業証書を得たにもかかわらず、就職先が見つからずに自殺した。

 脱北者を「関わりを持ちたくない相手」と見なす人々もおり、ある男性は、子どもを通わせていた学校で韓国人の保護者たちから、うちの子と付き合わせるなと公然と抗議する声が上がったことから、他国への移住を余儀なくされた。

 2000年以降、軍事境界線を越えて韓国に渡った北朝鮮兵士はわずか9人で、チュさんはその一人だ。昨年11月には、1人の北朝鮮兵士が同僚たちから銃撃されながらも韓国に亡命した一件が世界中で大きく報じられた。

 しかし、残る脱北兵のうち2人は薬物乱用や殺人未遂で服役しており、別の1人はアルコール依存症になり肝臓がんで死亡した。この他、ナイトクラブのチラシ配りをしていたときに自動車にはねられ障害を負った者や、別の国に移住した者もいる。

「(亡命した)兵士の多くは、韓国に来たことを後悔していると話す」とチュさんはAFPに明かした。