【4月6日 CNS】「家族がこの世を去ったことをずっと認めたくなかったが、10年の歳月が経過し、徐々にだが現実を受け入れられるようになってきた」

 この日のために、成都市(Chengdu)から故郷の北川県(Beichuan)に戻ってきた李佳明さんは、北川県旧県城(旧県庁所在地)にある供養台のそばで記者にそう語った。

 北川県旧県城の大地震跡地は荒れ果てたままで、時の流れが止まっている。犠牲者の家族や友人や、同胞たちの英霊を弔うために訪れる市民が後を絶たない。

「5.12大地震の犠牲になった同胞たちを哀悼」と書かれ横断幕を黙って見つめ、花を持ったまま身をかがめお辞儀をする人、地面にひざまずいてお辞儀をする人。全壊した旧北川中学校の方向に掲げられた国旗を見つめたまま、その場をいつまでも離れない人もいた。

 初めてこの地を訪れたという楊抗帝さんも、静かに涙を流していた。「10年たっても、やはり辛い。毎年5月12日になると、この地震のことを思い出してしまう」

 楊さんは、地震によって備えの大切さに気づいたという。「毎年、会社の社員らを集めて防災訓練を最優先で実施するようになりました。備えがあってこそ、災害に直面した時に迅速に対応できるんです」と言う。

 800人の生徒を引率して被災地を訪れた綿陽市(Mianyang)の中学校教師の蘭莉さんは、「北川新県城(移転した新県庁所在地)は活気にあふれ、この地の人たちも大きな闇の中から走り出そうとしている。私たちは今、感謝の気持ちを忘れてはいけない」と話した。

 その後、生徒と教師たちは1人ずつ献花台に花を捧げていた。(c)CNS/JCM/AFPBB News