【3月17日 AFP】利用客でにぎわうフランス・パリの東駅(Gare de l'Est)の地下深くには、家具がまばらに配置された地下室が不規則に広がる。ややほこりっぽいことを除けば、できた当時のまま保存されている。

 地下室はもともと第2次世界大戦(World War II)の数年前に荷物置き場として造られたが、開戦後、地下壕に用途を変更して使われた。

 フランスの鉄道の歴史を専門とするクライブ・ラミング(Clive Lamming)氏によると、1939年に行われた地下の大改造は「空襲にそなえた避難場所」をつくり、非常時でもドイツへ向かう列車を運行し続けることが目的だったという。

「ガスが心配だったのです」。コンクリート製のエアロックと重いドアを抜け、シェルターに入りながらラミング氏は言う。「第1次世界大戦では、完全な気密室が必要でした」

 コンクリート製の天井の厚さは3メートル。広さ120平方メートルの小さな部屋は、約70人が避難できるよう設計されている。

 だが、結局この地下室が役に立つことはなかった。第2次世界大戦中、パリはほぼ空襲を免れ、毒ガスの危険もほとんどなかったからだ。

 今日、パリ中心部にあるこの駅を大勢が利用するが、足元に埋められたタイムカプセルに気づく人はほとんどいない。ホームにある目立たない扉を開けると地下壕に続く階段があるが、特定の機会を除いては一般公開されていない。

「80年の間、地下壕は『眠り姫』だったのです」とラミング氏は語る。「1939年から、全てが手付かずのまま残っています」

 この地下壕は大人数向けに造られていないため通常は見学できないが、記念日などには一般公開されている。(c)AFP/Jean LIOU