【2月6日 AFP】朝鮮半島(Korean Peninsula)を二分している非武装地帯(DMZ)のすぐ南側に暮らし、北朝鮮側にある故郷に思いを寄せながら年を重ねた高齢者たちがいる。彼らは朝鮮戦争(Korean War)の最中に北側から逃れてきた人々だが、9日に開幕する平昌冬季五輪では韓国を応援すると話す。

 韓国沿岸部最北の漁港の一つがある青湖洞(チョンホドン、Cheongho-dong)には、戦争中から戦後の時期にかけて北方から数千人が避難し、その後に定住した。この地域は「アバイ(Abai)村」の通称で知られるが、これは咸鏡道(Hamgyong-do)と呼ばれていた北朝鮮の一部地域の方言で「お年寄り」を意味する言葉だ。

 北朝鮮の選手たちは今月、この青湖洞から1時間ほどしか離れていない平昌で大会に出場する。北朝鮮の核開発をめぐって緊張する南北関係において、北朝鮮の五輪参加は貴重な動きとなった。

 アバイ村に暮らす北朝鮮からの第一世代は高齢化しており、近年はその数も減りつつある。多くは、家族を残してきた北朝鮮への強いつながりを感じると話すが、朝鮮半島南側の民主主義国で人生の大半を過ごしてきたことから、現在は韓国の人間との認識もあるという。

「私は韓国人だから、自分たちのチームを応援しなければ」と言うのは、約70年前に10代でこの地へやって来たファン・スンファンさん(81)だ。同じく80代の友人キム・クンウクさんも「ここで暮らしているのだからもちろん、私も韓国を応援する」と語る。

 キムさんは1950年の冬に16歳で北朝鮮を逃れた。金日成(キム・イルソン、Kim Il-Sung)国家主席率いる社会主義体制下で朝鮮人民軍として戦うのが嫌だったキムさんは父、兄と一緒に、50人ほどが詰め込まれた小さな木造船に乗り込んだ。

 多くの人たちが考えていたように、キムさんも戦争は数週間で終わり、咸鏡南道(South Hamkyong Province)の洪原(Hongwon)郡に残してきた母やきょうだいたちとすぐに再会できると思っていたという。「けれど休戦協定が調印され、私は帰れなかった。いまだにここにいるし、既におじいさんだ」と、韓国では運転手として働いてきたキムさんは語った。