【1月2日 AFP】「流れ弾」──今回、全く議論を必要としなかったのは、このタイトルだ。

 今回のマルチメディアプロジェクトの目的は、この言葉に込められた物語、つまり、ファベーラと呼ばれるブラジル・リオデジャネイロの悪名高い貧民街で銃による暴力に巻き込まれ、命を落とす罪のない人々の悲劇を語ることだ。彼らは校庭で遊んでいただけ、家の中で座っていただけ、他人に干渉することなく日々の暮らしを送っていただけで、撃たれた。年齢もさまざまだ。私がリオに赴任した1か月後には、母親の子宮にいた胎児が撃ち殺された。そのニュースを聞いて私は震撼(しんかん)した。生まれてさえもいないのに、銃弾で殺されることがあるとは。

 プロジェクトを発案したのは現地の写真記者、マウロだ。彼は「カリオカ」と言われるリオデジャネイロっ子で、ファベーラの内も外も知り尽くしている。リオデジャネイロ五輪から1年がたち、ブラジルで「コムニダージ(共同体)」とも呼ばれているファベーラで急増している暴力について、流れ弾で死んだ人々に焦点を当てて取材してはどうか。

ブラジルのリオデジャネイロのファベーラ「Complexo do Alemao」で警察による麻薬密売組織の撲滅作戦中、13歳のパウロ・エンリケ・デ・オリベイラ君が射殺された現場には多くの弾痕が残る(2017年4月25日撮影)。(c)AFP / Fabio Teixeira

 昨年7月、ファベーラでの撃ち合いがあまりに日常化し、ある新聞は「リオでの戦争」という特集の連載を開始し、銃撃戦を鎮圧するために軍が動員されたほどだ。警察官らは低賃金を不満に思って事態に対処せず、ある地域ではギャングに武器を貸し出したとして告発された警察官すらいた。暑く、絵はがきのようなリオデジャネイロ。サンバ、ビーチ、サッカーの都は、対処可能に思える暴力と腐敗の連鎖のただ中にあった。

 リオ周辺で起きる銃関連事件をリアルタイムで追跡している「フォーゴ・クルサード(十字砲火)」という名のアプリがある。銃撃の起きた場所、死傷者数、進行中の警察の作戦。こうした情報を提供することによって住民たちを現場周辺から遠ざけるようにする。交通情報を届けるアプリなら、ほとんどの都市にあるが、リオには銃撃戦の情報アプリがあるのだ。

 リオ市街を見下ろす丘の中腹にパステルカラーの家が立ち並ぶファベーラ。この貧困地区を牛耳るギャングたちとは、何の関係もない住民が犠牲となっている。そうした罪のない犠牲者たちに声を与えるために動画、写真、テキストを用いたマルチメディアプロジェクトにしようと私たちは決めた。

ブラジルのリオデジャネイロの最も豊かな地域の一つであるサンコンラード(右)と近接するファベーラのロッシーニャ地区(左、2017年9月27日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 いったん案が固まると取材方法について議論した。インタビューする人数は? インタビュー形式は? 警察や社会学者、政治家などにもインタビューすべきか。麻薬密売人や警官も含まれている銃による犠牲者をどう区別するか。

 最終的に、インタビューするのは、ファベーラの住民を中心とする一般人で、自分自身か近親者が流れ弾に当たったことがある人だけに絞ることにした。彼らは皆、間が悪い時に間が悪い場所にいたためにどれほど人生が変わってしまったかを語ってくれた。ルシアナ・ノバエス(Luciana Novaes)さんの首に流れ弾が当たったのは、大学の食堂にいたときだった。

 このけがによって、ほぼ全身まひとなり、会話ができるようになるまでに1年かかったノバエスさんは、再起して市会議員になった。これまでの人生で自分が成し遂げた最も大きなことは、あのとき、恨みにのみ込まれなかったことだと話す。「自分が怒りを抱いていないことを、毎日、神に感謝している」と語った。

ブラジルのリオデジャネイロのファベーラ、ロッシーニャ地区を巡回する軍警察(2017年9月25日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 初回のインタビューから非常に強い言葉が発せられたので、証言の強さを際立たせるために黒い背景の前で撮影することにした。

 つまり、ファベーラの街路自体は撮影しなかった。その代わりに犠牲となった人々の持ち物を撮影した。子どもたちのノートや靴、スポーツ大会のメダルなど、途中で絶たれてしまったいくつもの人生を語る品々だ。

 さらにインタビューする相手を8人に絞った。これも言葉の力を最大限、引き出すためだ。

 取材が進むにつれ、プロジェクトは重層的になっていった。AFPパリ本社の情報画像班は、画像と地図で図解するインタラクティブツールを盛り込むアイデアをくれた。

 リオデジャネイロ支局で働く4か国語(ポルトガル語、スペイン語、英語、フランス語)を操る記者たちが、このプロジェクトに4か月以上を費やした。

 プロジェクトでは予想もしていなかったさまざまな課題にぶつかった。技術的な側面(パリの情報画像班の同僚たちが根気強く解決してくれた)から、単に証言者をどう見つけたらよいかといった現実的な問題までだ。

 ファベーラに住むカリオカは200万人近いが、私たちは治安の懸念上、最も悪名高い地区のいくつかに入り込むことができなかった。そのため、コネを使って、自分自身や近親者が犠牲となった体験を告白することを承諾してくれる人を見つけなければならなかった。証言者を1人見つけるのに、何週間も働き掛けるときもあった。

ブラジルのリオデジャネイロ、麻薬密売組織の撲滅作戦が行われるファベーラで、軍警察の兵士らをフェンス越しに見つめる子どもたち(2017年10月6日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 話したくないという人もいた。おなかの中の子どもを撃ち殺されたクライディネアさんもそうだ。彼女は悲しみに打ちひしがれていた。

 インタビューした人々は、しばしば必死で涙をこらえていた。インタビューを中断しなければならないときもあった。この「戦争」の中で完全に忘れ去られていた男女、声を上げる機会がほとんどなかった人々に会い、私たちは皆、心を揺さぶられた。自分の人生を一変させた悲劇について、初めて話すという人もいた。自分たちが被った痛みや喪失に対し、正義が下されることはないと悟っている人もいる。たった一人の子どもを失った人や、慕っていたきょうだいを失った人。彼らが再び人生の歩みを踏み出すまでに1年以上かかることなど珍しくない。

 記者である私たちは全員リオ市内に住んでいるが、ファベーラのように暴力が多発する地区ではない。「南部地区」と呼ばれる地域にある私たちの快適な住まいでも、ファベーラの銃声音は聞こえてくる。だが、たとえ音が聞こえても、私たちの命は脅かされていない。自宅で流れ弾に当たる危険性はほとんどない。朝、生きて帰って来ることができるかどうかを心配せずに市場へ行くことができる。

麻薬密売組織の撲滅作戦が行われているブラジルのリオデジャネイロのファベーラ、バルバンテ地区を巡回する政府軍兵士(2017年11月30日撮影)。(c)AFP / Leo Correa

 今回のプロジェクトは関わった記者たちにとって極めて重要なものとなっている。多くの記者が私に言ったように、「流れ弾の犠牲者が単なる数字ではなくなり、新しい犠牲者が出るたびに、それまでに出会った人々のことを考える」ようになったからだ。

 取材をすべて終えた後、それぞれ1時間前後のインタビューをカットして90秒程度に編集し、いくつかの言葉だけを抜き出すのは大変な作業だった。だが、それは一人一人の事件にスポットライトを当てながら、より大きな問題に関心を高める双方向性の短編ドキュメンタリーを作る上で生じる挑戦でもあった。

 掛け替えのないものを喪失した人々の悲嘆、無力感、不公平感はもちろん、そうした人々の勇気や計り知れない尊さをも示すことができれば、と私たちは願っている。彼らが私たちを信用して気持ちを打ち明けてくれたことを光栄に思っている。

ブラジルのリオデジャネイロのファベーラ、ロッシーニャ地区で(2017年9月撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

このコラムはAFPリオデジャネイロ支局のパスカル・トルィヨー(Pascale Trouillaud)支局長が執筆し、2017年12月14日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。