【12月1日 AFP】コロンビアで警察官として働くマルロン・レングワ(Marlon Lengua)さんにとって、シャペコエンセ(Chapecoense)は憎き敵チームの一つでしかなかった。――ところが2016年11月のあの夜、コロンビアの山腹で同僚の警官隊が目にしたのは、墜落した飛行機の残骸からシャペコエンセの選手を引っ張り出すレングワさんの姿だった。そうして命を救われたのが、事故の数少ない生き残りであるサンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)だった。

 それは、24歳のレングワさんが愛するサッカークラブ、アトレティコ・ジュニオール(Atletico Junior)がシャペコエンセに敗れ、コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)での戦いを終えてからほんの1か月後の出来事だった。2016年11月28日の午後10時半前、ラ・セハ(La Ceja)でのその日の勤務を終えようとしていたレングワさんのもとに、飛行機が近くのセロ・ゴルド(Cerro Gordo)に墜落したという連絡が入った。

 その飛行機に、アトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)との大会決勝のためメデジン(Medellin)へ向かう、シャペコエンセの面々が乗っていた。コパ・スダメリカーナの決勝進出は、クラブ史上最大の快挙と言っていい出来事だった。しかし、飛行機は燃料切れを起こして目的地近くの山岳に墜落。乗客乗員77人中、選手19人を含む71人が死亡した。

 現場へ真っ先に駆けつけた人員の一人だったレングワさんは「多分、試合のときにはネト選手のことをののしったり、汚い言葉を浴びせたりしていたでしょう。ですがあのときは必死で救助にあたりました」と話している。

 墜落現場の壮絶な光景を見る限り、生存者はいないように思えたが、実際にはまだ息をしている人がわずかに残っていて、そしてその一人こそレングワさんが見つけたネトだった。かすかなうめき声を耳にしたレングワさんは、次に何か「盛り上がった」部分を目にした。それは木の枝に覆われたネトの胸で、そしてその胸はまだ上下していた。しかし「非常に危険な」状態で、しかも体はレングワさんの手がほとんど届かないところにあった。

 レングワは「生存者一人発見、至急応援求む!」と無線に叫んだのを覚えている。そして枝を払えるよう、鉈(なた)を持ってきてほしいと頼んだ。雨の中で現場は泥にまみれた悪夢と化したが、それでもレングワと同僚たちは何時間も奮闘した末、ついにネトを救い出すことに成功した。

 ネトはその後、11日間も昏睡から覚めなかったが、レングワさんが病院へ様子を見に行ったときは、発見したときよりもはるかに状態が良さそうだったという。ネトから「きみのおかげで助かった。本当にありがとう」と言われ、レングワさんの目から涙がこぼれた。

 別の警察官が「最後の生き残り」と題したドキュメンタリーを制作したこともあって、彼の勇敢な行動は国内に知れ渡り、「天使の少年」と称された15歳のボランティアとともに「緑衣の天使」の名を授かることになった。

 事故から1年が経つ現在、レングワさんは「エリオ(ネト)とはうまくやっていますし、連絡も取り合っています。ですがどちらかと言えば、仲が良いのは彼のお母さんの方ですね」と話す。実際、母親のヴァレリア・サンピエル(Valeria Zampier)さんからは、毎日必ず、一日の始まりと終わりにメッセージアプリのワッツアップ(WhatsApp)でメッセージが届くという。(c)AFP/Hector Velasco