【11月8日 AFP】イングランド・プレミアリーグのウェストハム(West Ham)は7日、解任したスラベン・ビリッチ(Slaven Bilic)監督の後任としてエバートン(Everton)やマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)を率いたデビッド・モイーズ(David Moyes)氏を招へいした。

 第11節を終えてわずか2勝と開幕から低迷が続き、降格圏の18位に沈んでいるウェストハムは、リバプール戦に1-4で大敗した二日後、共同会長のデビッド・サリバン(David Sullivan)氏とデビッド・ゴールド(David Gold)氏がこの状況に歯止めをかけるには変化が必要だと判断した。

 そしてビリッチ監督とたもとを分かち、プレミアでの経験が豊富なモイーズ新監督にチーム浮上の仕事を託すことになった。とはいえ、このところのモイーズ氏は結果を出せていない。ここでは同氏にまつわる五つの事実を紹介する。

■栄光のエバートン時代

 モイーズ監督は2002年から11年にわたってエバートンを指揮し、タイトルには縁がなかったが、資金力に限りがあるなかで安定して戦力以上の成績を残した。11年という在任期間は、プレミアではアーセナル(Arsenal)のアーセン・ベンゲル(Arsene Wenger)監督、ユナイテッドを率いたアレックス・ファーガソン(Alex Ferguson)元監督に次ぐ3番目の長さで、エバートンでは1960年代と70年代にチームを指揮したハリー・キャタリック(Harry Catterick)氏以来の長期政権を築いた。

■「選ばれし者」の結末

 モイーズ監督は2013年、20年以上にわたってユナイテッドに数々のトロフィーをもたらしたファーガソン監督の後継者という、非常に難しい仕事を任されたが、早々につまずいた。2012-13シーズンのプレミアリーグで2位に勝ち点11差をつけて優勝したチームを引き継ぎながら、6年契約のわずか10か月目で解任の憂き目に遭い、チームも7位に低迷した。

■ルーニーとの縁

 モイーズ監督は、イングランド代表の歴代最多得点者であるウェイン・ルーニー(Wayne Rooney)をプロの世界に導いた指揮官だ。モイーズ監督の下で、ルーニーは2002年にわずか16歳でエバートンからプロデビュー。しかし、その2年後に10代でユナイテッドへ移籍すると、ルーニーとモイーズ監督との仲たがいが明らかになり、ルーニーの自伝の記述をめぐって監督が訴訟を起こすまでになった。その後、二人は和解してルーニーが謝罪している。

■監督業での苦戦

 エバートンを長く指揮して確固たる評価を築いたモイーズ監督だったが、オールド・トラフォード(Old Trafford)での短期政権の末期には、すっかり生気を失って見えた。以来、監督の評価には傷がつくばかりで、スペインのレアル・ソシエダ(Real Sociedad)でも結果を残せず短命に終わると、サンダーランド(Sunderland AFC)ではいいところなくクラブを2部に降格させてしまった。

■信仰心は篤い

 モイーズ監督は敬虔なクリスチャンだが、ケンブリッジ・ユナイテッド(Cambridge United)でプレーした選手時代には、信仰が原因でチームメートと衝突したことがある。元同僚は「(モイーズ監督とチームメート2人の)3人が、更衣室で聖書を手に宗教談義を交わしていた。本来なら残留争いに向けて気合を入れなくてはならないタイミングでね」と当時を振り返ってあきれている。(c)AFP/Julian GUYER