■「処刑ではない」

 ラモンは8日、バジェグランデに近いライゲラ(La Higuera)から数キロ離れた場所で起きた戦闘で致命傷を負い、そのけがが元で9日未明に死去した。同域を管轄する第2大隊の司令官、アルナルド・サウセド(Arnaldo Saucedo)大佐は「処刑されたのではない」と言った。

 ラモンは自分を拘束した兵士らに対し、「私はチェ・ゲバラだ。不覚だった」とつぶやいたという。とにかくこれが軍最高司令官のアルフレド・オバンド(Alfredo Ovando)将軍の説明だった。だがそれより少し前の記者会見で質問を受けたサウセド大佐は、ラモンの意識が戻ることはなかったと答えていた。

 複数のカメラマンも含め、報道陣は遺体安置所の中を歩き回りながら、驚きと不信の表情を浮かべていた。しかし人違いは絶対にあり得ないように思われた。

 ボリビア人の同僚が私に言った。「バジェグランデはたった今、南米の革命史にその名を刻んだ」

 顔に真一文字の口ひげを蓄えた筋骨たくましいサウセド大佐は、報道陣の集まったホテルの部屋で、壁に掛かった宗教画の下に立って遺体公開後の記者会見を行った。その中で同大佐は、ボリビア南部にいるゲリラの残党はあと9人だけだと明かし、いかなる反乱のアジトもほとんど残っていないと主張した。