■大量のアーカイブとアート作品

「他の多くのデザイナー達と違い、サンローランはベルジェの助言により、1960年初頭からの作品を系統的に保管している。だから、あらゆるアイテムの進化を追うことができる」とミュージアムのスポークスマンは語った。同館は、彼の5,000もの作品のプロトタイプ(試作品)の宝庫を所蔵している。

パリ市内にオープンするイヴ・サンローランのミュージアム内の展示の様子(2017年9月25日撮影)。(c)AFP/STEPHANE DE SAKUTIN

 他の部屋には、サンローランのインスピレーションと「想像上の旅」に捧げられている。それらはアジアやアフリカ、そして1番有名なロシアに着想を得たのコレクションが多い。しかし、彼が1936年に生まれたときにはまだフランス領だったアルジェリア(Algeria)を思い出させるモロッコでの逗留以外は、それほど旅好きではなかったという。

 サンローランはベルジェとともに大量のアートコレクションを収集し、教養目的でピカソ(Pablo Picasso)、マティス(Henri Matisse)、ヴァン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)といったアーティストから作品を借りた。中でも最も有名なのは、彼が1965年のキャットウォークで発表したモンドリアン(Mondrian)のドレス。それは即座にポップアイコンとなった。

■ベルジェの永遠の愛と献身

 ベルジェはつねに、たった21歳で「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」に足を踏み入れ、キャリアをスタートさせたサンローランは、例外的なアーティストに他ならないと信じていた。ベルジェは彼を「20世紀後半における最も偉大なデザイナー」と呼び、「イヴ・サンローランの作品を作りを支え、それを残すことに、人生のすべてを捧げた」。彼は今月初め、2つのミュージアムがオープンする3週間前に亡くなった。

 ベルジェが今夏に結婚したアメリカ人造園家、マディソン・コックス(Madison Cox)は「亡くなる10日前に彼は『私はとても穏やかな気持ちで死ぬだろう』と語った。そしてその通りだったと思う。彼はとてもしっかりした人で、すべてをあるべきところに収めた」とAFPに明かした。

パリ市内にオープンするミュージアム内で、アンディ・ウォーホルによるイヴ・サンローランのポートレート作品(複製)の前を通り過ぎる女性(2017年9月25日撮影)。(c)AFP/STEPHANE DE SAKUTIN

 2つのミュージアムは、ドラッグとアルコール中毒に悩まされた繊細なサンローランを支え、守り続けたベルジェへもオマージュを捧げている。「もちろん私とチーム全体は、ベルジェがそこにいないことを心から悲しく思う」と、現在、2人の慈善団体の代表を務めるコックスは語った。「しかし彼は、我々に進み続けることを望んだだろう」(c)Anne-Laure MONDESERT / Fiachra GIBBONS