■サウジでの厚遇

 ウラー氏はパキスタンの港湾都市カラチ(Karachi)の中流家庭に育った。AFPが親族を取材したところによると、父親はカラチの名門イスラム神学校に学んだ後、一家を連れてサウジに移住。リヤド(Riyadh)で教職に就き、続いてターイフ(Taif)でも教えた。

 サウジ在住時のウラー氏は、モスク(イスラム教礼拝所)で聖典コーランを朗誦して現地の富裕層の目に留まり、子どもたちの家庭教師を依頼された。間もなく富裕層の内輪の集団に招かれるようになり、深夜のパーティーや豪華な狩猟旅行を楽しんでいた。

 しかし、2012年にラカイン州で仏教徒とイスラム教徒の衝突が発生し、ロヒンギャを中心に14万人が避難を余儀なくされたのを契機に、ウラー氏はミャンマーでの戦うため、サウジでの快適な生活を捨てた。

■過激派への不信感

 まずウラー氏はパキスタンに戻った。2012年に移動中のウラー氏とカラチで会ったというイスラム武装グループの関係者3人によると、同氏は豊富な資金を持っており、パキスタンで銃と戦闘員を調達して有力なイスラム過激派グループによる軍事訓練を行う考えだった。資金の出所は、サウジの富裕層やサウジ在住のロヒンギャのようだったという。

 ウラー氏は、アフガニスタンやパキスタンのタリバン(Taliban)、カシミール(Kashmiri)の分離独立を求めるラシュカレトイバ(Lashkar-e-TaibaLeT)といった過激派組織とつながりを持つ人物らに接触し、大金を提示して支援を要請したものの、無駄に終わった。パキスタンのイスラム過激派の大半は、ウラー氏の依頼を鼻であしらったり、あからさまに無視したりといった反応を示し、同氏から武器調達資金として渡された金を着服した者もいた。

 パキスタンのタラット・マスード(Talat Masood)退役中将は、「さまざまな過激派がビルマ(ミャンマー)でのジハード(聖戦)を呼び掛けているのは、イスラム教徒から共感を得たいがための売名行為に過ぎない」とコメントした。

 2012年にパキスタンでウラー氏を見かけた複数のイスラム武装グループの関係者によると、同氏はロヒンギャの苦境に口先では同情しながら具体的な協力になると難色を示したイスラム過激派に根強い不信感を持つ、熱心な民族主義者になってパキスタンを出国した。

 専門家らは、ウラー氏が公然と掲げているミャンマーのロヒンギャを守るという目標が裏目に出ていると警鐘を鳴らしている。ホーシー氏は「人々の人権を守ろうとしているというARSAの主張を信用するのは非常に難しい」と述べ、ARSAは「おそらく(ロヒンギャの)人たちにとって史上最悪の危機を引き起こした」と指摘した。(c)AFP/Gohar ABBAS