【8月16日 AFP】1977年8月16日、「キング・オブ・ロックンロール」ことエルビス・プレスリー(Elvis Presley)が死去した。今から40年前のこの日、世界はロック界初の大スターを失った。

 プレスリーはこの日、米テネシー(Tennessee)州メンフィス(Memphis)の自邸「グレースランド(Graceland Mansion)」で意識不明の状態で発見され、搬送先の病院で死亡が宣告された。42歳だった。

 死因は不整脈と発表されたが、さまざまな憶測が瞬く間に広まった。元ボディーガードの一人は、プレスリーが亡くなる数時間前に録音されたインタビューの中で、プレスリーは薬漬けで幻覚症状もあったと述べている。

 プレスリーがオピオイドや処方薬を多用していたという事実は、ファンのほとんどが知らなかったことだが、それが彼の悲劇的な死の少なくとも原因の一つとなったことが、後に断定された。

■殺到、狂乱、失神

 1972年から半ば引退状態にあったプレスリーに哀悼の意を捧げようと、死去翌日の17日、グレースランドにはファン数万人が詰め掛けた。邸宅前を走る最大6車線の道路「エルビス・プレスリー大通り(Elvis Presley Boulevard)」はファンであふれた。

 感情のたかぶり、猛暑、大勢が殺到したことなどが重なり、ファン数十人が失神し救急車で搬送された。そして多くのファンは、プレスリーの死を信じようとしなかった。混乱の中、2人のファンが自動車にはねられて死亡した。

「キング」に別れの挨拶をするためにファンに与えられた時間は、わずか2時間。銅製の棺に横たわったプレスリーは、青いシャツとシルバーのネクタイを合わせたクリーム色のスーツ姿だった。

 同日、米ホワイトハウス(White House)には、国を挙げて追悼する日を設けるべきだと要求する電話が数百件寄せられた。