■迷路のような地下壕

 ユーゴスラビアは1990年に崩壊したが、旧ユーゴ諸国では今もチトー時代の痕跡がはっきりと見て取れる。

 コチェウイェ近郊にはトンネルや細い通路、爆破耐性がある分厚い扉などが完備された1950年代の地下壕もあり、今月初めて、当局によって公開された。800平方メートルの「迷路」の存在はつい最近まで秘密にされていた。ガイドになって間もないミハエル・ペトロビッチさんはAFPの取材に対し「封鎖された軍事基地の中にこういうものがあるといううわさは地元住民の間では以前からあった」と述べた。

 地下壕ツアーに参加すると、入口で携帯電話を預けるよう指示される。共産主義体制の様子を本格的に体験したい参加者には、コチェウイェ市街からこのスクリリェ(Skrilje)の地下壕に移動する車内で目隠しされるという選択肢もある。

 古びた機材の間をすり抜けて壕内を進む観光客を見下ろすのは、いかめしい顔つきのチトーの肖像だ。チトーは1945年から生涯にわたり旧ユーゴを率い、1980年に死去するまでの間に終身大統領にもなった。「チトー主義」は旧ユーゴ独自の社会主義で、民主主義には程遠かったが、旧ソ連型の社会主義よりは柔軟だった。

 チトーは第2次世界大戦中にパルチザンを率い、ナチス・ドイツ(Nazi)の占領軍を駆逐したことや、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)に反抗したことで尊敬を集めた。一方で反体制派を多数殺害した責任を追及する声もある。

 チトーは、1944年5月のドイツ軍による空襲をボスニア・ドルバル(Drvar)の防空壕で生き延び、その後、ユーゴ全土に最大50か所の秘密の軍事用地下壕の建設を命じた。これらの壕はユーゴ共産党の幹部の避難場所としてだけではなく、武器弾薬の製造工場や倉庫、空軍の地下基地などとして用いられた。(c)AFP/Bojan KAVCIC