■AIDS診療所は「最高の場所」

 公園で寝泊まりし、音楽を聞き、薬物を使用する。世界の多くの都市で、フリキスのような若者たちはそれほど珍しい存在ではなかったかもしれない。だが、冷戦(Cold War)時代にはロックは違法で、ドラッグの使用は非常に厳しく取り締まられていた共産主義国キューバでは、彼らの生き方は特に大胆な意思表示だった。

 首都ハバナ(Havana)のAIDS患者療養所の所長だったホルヘ・ペレス(Jorge Perez)医師は、フリキスについて「彼らは、女性、男性、食べ物、薬、何でも共有していた」と語った。

 1991年に同盟関係のソビエト連邦が崩壊するとキューバは貧困に陥り、同時にAIDSがまん延するようになった。

 そうした状況の中で国立のAIDS診療所は安息の場所だった。「彼らにとって(国立のAIDS診療所は)可能な限り最高の場所だった」と政府認定の音楽機関キューバン・ロック・エージェンシー(Cuban Rock Agency)のマリア・ガットルノ(Maria Gattorno)氏は語り、さらに、「(国立のAIDS診療所では)何でも保証されていた。薬とおいしい食事があって、面倒もみてくれた」と話した。

 ゴベアさんは、診療所に入り、フリキスであるために警察から受ける嫌がらせを避けるたに、自分から感染することを選んだと言う。仲間の中には、既に感染している「好きな相手と一緒にいたいがために」自分から感染した人たちもいると言う。