【5月25日 AFP】リリアン(仮名)さんが自身の幼い娘と最後に会ったのは10年前──。アフリカの祖国で身の危険を感じ、愛する家族と別れて、着の身着のまま日本へとやって来た彼女は、新しい生活への希望を胸に抱いていた。

 リリアンさんは現在、将来性のない仕事でどうにか生計を立てながら暮らしている。知っている日本語はテレビ番組で聞きかじったものばかりだ。彼女のような環境にある人への日本政府の支援はそう多くない。無償で提供される日本語教室は限られており、福祉住宅もなかなか見つけることができない。差別もある。

 それでも、日本で難民認定を受けた数少ない一人である彼女は運が良い方だと見なされている。日本では難民認定申請者の99%以上が却下されている現状がある。

 ここでは勉強のための資金援助はなく、銀行でローンを組んだり福祉住宅を借りたりするにも手助けはしてくれない。簡単なことではないとリリアンさんはAFPの取材に語った。「私たちは自分だけが頼り。一人で闘うしかない」

 欧米では近年、反移民感情が高まっているが、日本では、祖国の独裁政治や内戦から逃れ、安住の地を求めてやって来た人が、法的・社会的な壁に阻まれ、長きにわたり苦境に立たされ続けている。

 富裕国である日本では2016年、法務省入国管理局により8193人の難民認定申請が処理された。そのうち難民として認定されたのは前年より1人多い28人のみだった。

 この状況について日本政府は、難民認定者が少ないのは、申請しているのが主にアジア地域の出身者で、経済的な理由のみで日本への入国を希望しているためだとしている。

「わが国においてはシリア、アフガニスタン、イラクのような大量の難民が発生する地域からの申請が少ない」と、法務省入国管理局の広報担当者、菱田泰弘(Yasuhiro Hishida)氏は説明する。

 リリアンさんは、国連(UN)の支援を受けて日本にたどり着いた。そして、祖国に戻れば部族紛争によって命が危険にさらされるとの理由から、到着直後に難民認定申請を行った。難民として認められるまでには2年かかったが、その間、カトリック教会や慈善団体からの援助を受けて暮らした。