【AFP記者コラム】アレッポの廃虚に流れる音楽
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【4月12日 AFP】爆撃でも戦闘でも、決して打ち砕くことのできないものがある。シリア・アレッポ(Aleppo)出身のモハメド・アニス(Mohammed Anis)さん。そして、今や廃虚と化した生まれ故郷で生きよう、再出発を図ろうというアニスさんの意志。
たとえ自宅が文字通り、がれきの山になっていても。彼が大切にしてきた、愛する米国製ビンテージカーコレクションや自慢のパイプの大半が、今ではめちゃくちゃに破壊されてしまったとしても。周囲で動くものといえば、年代物の手回し蓄音機だけになってしまったとしても。
アニスさんは、かつて反体制派が掌握し、昨年12月末に政府軍が制圧したアレッポ東部の名士だった。激しい戦闘とそれに伴う物資不足にもかかわらず、機会あるごとに披露してきたビンテージカーコレクションと自宅を後にすることを拒んできた。同僚のカラム・マスリ(Karam al-Masri)記者がアニスさんについて報じた記事は、シリア第2の都市アレッポの包囲された東部の取材の中でも、特に感動的な物語の一つとなった。
そこで、最近アレッポに戻ったAFP取材班は、アニスさんのその後を見極めに向かった。アニスさんは難なく見つかった。アニスさんの地元、シャー(Shaar)地区に残っていた住民らが、そのふさふさの白髪にちなみ「白いオオカミ」と呼ばれているアニスさんの住まいをすぐさま教えてくれた。
古い米国車を集めている男性にどこにいけば会えるか聞いただけで済んだ。カラムは記事の中でアブ・オマル(Abu Omar)さんと呼んでいたが、それは安全上の理由で使われた偽名だということは分かっていた。
最初は車で向かったが、道にがれきが散乱していたため、途中からは徒歩で進み、ついに緑色の金属扉にたどり着いた。ノックしてみた。ドアを開けてわれわれに目をやったアニスさんは、「フランスの人たちですか」と言った。
アニスさんは、同市東部が政府軍に制圧される2か月前までここに残っていたことが分かった。会話の中で、自分の生きる意志をくじき得るものは何もないと繰り返した。「傷ついた」愛車たちを修復するつもりだと言った。完全に破壊された車も、一部壊れた車も。さらに、新しい車も買うつもりだと。この人には鉄の意志がある。彼を取り巻く環境を目の当たりにすれば、信じ難いことだ。だが不可能だと誰に言い切れよう?
苦境に暮らしているなどという言葉では全く足りやしない。彼は文字通り、がれきの中に生きている。
「ここでどうやって暮しているのですか?」と尋ねると、ただ一言「ここが自分の家だから」という答えだった。大勢のアレッポ住民と同様、彼もがれきの中で眠る。
蓄音機に気付き、まだ動くのかと聞いてみた。「もちろん!」と彼は言った。古い映画に出てくるような手回し型で、電気は要らない。そうでないと困る、アレッポ東部では目下、電気が使えるのはほんの1時間ばかりで、そこかしこに発電機が置かれている状況なのだから。
「皆さんのためにかけてあげますよ」とアニスさん。「でもその前にパイプに火をつけないと。音楽を聴くときは必ずそうするのでね」と言った。
パイプも壊れていて、テープで貼り合わせてあった。火をつけ、クランクを回し始めると、1940年代のアラブの歌手の声が流れてきた。私の祖父がレバノンで聞いていたのと同じだ。その瞬間、私は荒れ果てたアレッポを撮るカメラマンではなくなった。故郷の山あいの村で、ソファに座った祖父と昼下がりに「古き良き」アラブ音楽の曲に耳を傾けた少年時代に引き戻された。
アニスさんはパイプをふかした。彼もまた、そこではない別の場所にいるようだった。われわれがそこにいることも忘れたかのようだった。窓の外に目をやり、美しい夕暮れを眺める人のような表情を見せた。自宅に、外の街に音楽が流れる中、彼はそこに腰を下ろし、壊れたパイプをふかして窓の外をじっと見つめていた。
持参したカメラで何枚も撮影しながら、目の前の光景は特別なものだと認識していた。自分も心を打たれたし、また他の大勢の人々も心を打たれるだろうという感触があった。どれほどの数かは分からないにしても。
今日のシリアというものを実によく表していた。生きるということ、希望、わが家と祖国に深い思い入れを抱く人々。6年の内戦を経て、シリアの人々は生を求めている。音楽の響きに、ただ心を委ねられたら──。(c)AFP/Joseph Eid
このコラムは、AFPレバノン・ベイルート(Beirut)支局ジョセフ・イード(Joseph Eid)カメラマンが、パリ(Paris)本社のピエール・セレリエ(Pierre Celerier)記者、ヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2017年3月15日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。