【3月4日 AFP】サッカー元フランス代表の名選手で、1950年代にスペイン1部リーグのレアル・マドリード(Real Madrid)で欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League)の前身ヨーロピアンカップ(European Cup)を3度制したレイモン・コパ(Raymond Kopa)氏が3日、死去した。85歳だった。

 フランス代表として出場45試合18得点の成績を残したコパ氏は、国内リーグから初めて海外に挑戦したフランス人選手となり、のちにミシェル・プラティニ(Michel Platini)氏やジネディーヌ・ジダン(Zinedine Zidane)氏、そして現在のポール・ポグバ(Paul Pogba)らに続く道を切り開いた。

 スタッド・ランス(Stade Reims)で出場した1956年のヨーロピアンカップ決勝でレアルに敗れたものの、その実力が評価されて数週間後にはレアルに移籍したコパ氏は、のちに当時の状況を振り返り、「私は海外でプレーする初めてのフランス人選手になった。そして、多くの人たちは私のことを裏切り者扱いした」と明かしている。

 コパ氏はキャリア全盛期の1950年代に、アルフレッド・ディ・ステファノ(Alfredo Di Stefano)氏、フェレンツ・プスカシュ(Ferenc Puskas)氏とともにレアルでプレーした。1958年にはヨーロピアンカップを制し、バロンドール(Ballon d'Or)にも輝いたが、W杯スウェーデン大会ではペレ(Pele)氏を擁するブラジル代表に準決勝で敗れた。

 欧州で偉大なサッカー選手の一人に挙げられるコパ氏の死去を受け、フランス・プロサッカーリーグ連盟(LFP)は、週末に行われる国内の全試合で、試合前に1分間の黙とうがささげられることを明らかにしている。

 フランソワ・オランド(Francois Hollande)仏大統領は、コパ氏について「フランスで最も称賛を浴びたスポーツマンの一人」と声明を発表し、同国代表のディディエ・デシャン(Didier Deschamps)監督も「大げさではなく、フランスはレジェンドを失ってしまった」とコメントした。

 また、レアルのフロレンティノ・ペレス(Florentino Perez)会長は「コパ氏はこのクラブとその価値を体現していました」と述べ、ジダン監督は「一人の男性、または人間として、彼はわれわれに道を示してくれたので、とても悲しんでいる」と語った。(c)AFP