■引き裂かれた家族

 ズグヘラさん(45)には壁の反対側に暮らす家族がいる。14歳の息子は一度も会ったことがない。ズグヘラさんは最近、ティンドゥフ(Tindouf)から3時間かけて息子と一緒に砂漠を歩き、壁を見せに行った。多くのサハラウィは、壁の近くにいるだけで、親戚がそばにいることを感じられると口をそろえる。

 しかし中には、デマハ・ラブチさん(66)のように実際に壁の反対側を訪れた人もいる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は2004年から2014年にかけて、2万家族以上に壁の反対側を訪れる機会を提供した。

 ラブチさんは「私たちは5日間の滞在を許されたけれど、あまりに短すぎた。到着した時に涙し、出発する時にまた涙した」。そして「彼らに壁を壊してもらいたかった。壁は家族を引き裂いているから」と語った。

 平和的な活動家を自認するエンジニアのモハメド・ハイバ・アメド・ファルさんにもつらい思い出がある。モロッコ当局は2001年、反政府デモを組織したとして当時10代後半だったファルさんを投獄しようとした。ファルさんは逮捕されるよりもと、ポリサリオ統治下の反対側へ渡った。

「他に選択肢はなかった。恥の壁を超えるしかなかった」と語るファルさん。直接つながっている電話回線がないため、ファルさんは現在、インターネットを通じてしか両親と連絡を取り合うことができない。

 ファルさんにとって最大の難関は、地雷原を避けることだった。ファルさんは友人に頼んで壁まで付き添ってもらい、最も安全な経路を教えてもらった。1975~1991年の戦闘では、モロッコとポリサリオ双方がこの地域に地雷を埋めた。いくつかの推計によると現在も500万~1000万個の地雷が埋まったままになっているという。(c)AFP/Amal Belalloufi