【2月14日 AFP】(更新・写真追加)西サハラを南北に貫くその壁は、今も機能している防御壁として世界最古といわれる一方で、モロッコからの独立を望む西サハラの住民や指導者からは「恥の壁」と呼ばれている。

 隣国アルジェリアの難民キャンプで暮らす西サハラの民(サハラウィ)約16万5000人の一人、アンゾウガ・モハメド・アフメドさん(36)は「私は壁の後ろで育った。私の子どもたちはその影の中で生まれた」と語った。

 サハラウィ文化の象徴とされる長さ4メートルの伝統的な織布「メルファ」をまとったアンゾウガさんは、西サハラに戻る望みを失ったという。

 アルジェリアの支援を受け、旧スペイン領の独立を掲げる武装組織ポリサリオ戦線(Polisario Front)は、砂漠をヘビのようにうねっている防御壁で隔てられた片側を「サハラ・アラブ民主共和国」と宣言して支配している。

 1975年から1991年にかけて、ポリサリオ戦線は西サハラをめぐってモロッコと戦闘状態にあった。国連(UN)決議で西サハラの自治に関する住民投票が呼び掛けられたが、モロッコは今も自国の領土の一部だと主張している。

 そのモロッコは1980~1987年、自国が支配下に置く西サハラの約90%にあたる土地に、ほぼ砂でできた6つの壁を築いた。総延長約2700キロに及ぶ壁は、緑色のアカシアの低木と白く輝く塩湖で有名な広大な黄土砂漠を貫いている。

 壁の周囲には有刺鉄線や溝、地雷原が張り巡らされており、反対側にはモロッコ兵も配備されている。

 地雷の犠牲となったサハラウィを支援する地元グループの代表アジズ・ハイダール(Aziz Haidar)氏は「世界一長い壁の一つで、西サハラをがっちりと封鎖している」と語った。

 ポリサリオのリーダー、ブラヒム・ガリ(Brahim Ghali)さんはこの壁を「一つの土地を分かちながら、家族たちを引き裂く恥の壁」と呼ぶ。