■次の世代に伝えられなければ終わり

 信仰を偽装するため、そして司祭も聖書も存在しない環境に適応するために、隠れキリシタンの人々がさまざまな要素を融合させてつくり上げた信仰は、伝統として子孫に色濃く受け継がれている。

「島の館」の学芸員で民俗学を研究している中園成生(Shigeo Nakazono)さんは、隔絶されていた彼らは自分たちなりに、できるだけ忠実に信仰を再現したのだと指摘する。

 生月町の漁師、川崎雅市(Masaichi Kawasaki)さん(66)の自宅居間には祭壇が4基ある。仏と先祖をそれぞれ祭った仏壇が2基と神棚。そして残る一つの果物や花が供えられた祭壇には、長い黒髪を垂らして子どもを胸に抱いた着物姿の女性の掛け軸が、十字架やろうそくの奥に見える。これは間違いなく聖母マリアのイメージだ。

 テーブルの上には、和紙で作られた小さな十字架がいくつも置かれていた。これは、川崎さんの先祖が当時、亡くなった仲間の信者の耳の中にこっそりと潜ませたのと同様のものだという。

「幼いときからそういう風な生活の中にあったものですから、自然とそういう習わしというか…そういうものが自然と伝わった。そういうような環境だったからです」と川崎さんは言う。

 隠れキリシタンの文化をめぐっては、彼らの歴史が時のかなたに消え去ってしまわないよう、カトリック教会が率先して働き掛けるべきだという意見もある。

 長崎市にある日本二十六聖人記念館(Twenty-six Martyrs Museum and Monument)で館長を務めるデ・ルカ・レンゾ(Father Renzo de Luca)神父は、日本の歴史に見られる隠れキリシタンの文化は、世界でも他に例がないと語る。同施設は、1500年代後半にこの地ではりつけの刑に処された26人のカトリック信者をしのぶために建てられたものだ。

 だが、隠れキリシタンの末裔(まつえい)として知られている人々は数百人しかいない。しかし、多くの若者たちは数百年前に亡くなった信者たちをたたえる伝統を受け継ぐことにあまり興味を示していないのだという。

 このような流れについて、伝統を受け継ぎながら大工として働く大石義孝(Yoshitaka Oishi)さん(64)はとても残念だと話す。AFPの取材には、次の世代に伝えられなければ終わりだと目に涙をためながら語った。(c)AFP/Ursula HYZY