【11月18日 AFP】サッカーポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)は今月8日、所属するスペイン1部リーグ、レアル・マドリード(Real Madrid)との契約を2021年まで延長した。AFPは今回、2009年にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)から加入して現在にいたるまで、同選手のレアルでの印象的な出来事を振り返る。

――ペップのバルサ撃破

 2011年春に行われた「クラシコ4連戦」の2試合目で、ジョゼ・モウリーニョ(Jose Mourinho)監督が指揮を執っていたレアルは、ジョゼップ・グアルディオラ(Josep Guardiola)監督の下で当時最強の名をほしいままにしていたFCバルセロナ(FC Barcelona)に一矢を報いた。

 延長戦でロナウドは打点の高いヘディングから決勝点を挙げた。ロナウドにとってこのゴールは、バルセロナ戦で8試合ぶりとなる流れの中からの得点だった。

 このゴールでバルセロナはスペイン国王杯(Copa del Rey)優勝を逃し、3シーズンで2度目となる国内リーグ、欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League)、国王杯の3冠を阻まれた。

――カンプ・ノウが静まり返ったゴール

 それから1年後の2012年4月、レアルは敵地カンプ・ノウ(Camp Nou)でのクラシコに2-1で勝利し、バルセロナ時代に終止符を打った。ロナウドはこの試合で決勝点を挙げ、レアル加入後の7年間で唯一となるリーグタイトルを獲得した。

 ロナウドはこの試合を含め、クラシコでは史上最長となる6戦連続ゴールを達成。決勝点を挙げた直後に見せた「落ち着け。俺はここにいる」というパフォーマンスは、当時のロナウドを象徴するものとなった。

――メッシを退けバロンドール獲得

 バルセロナを王座から追い落としたレアルだったが、それでも個人のレベルでは、ライバルのリオネル・メッシ(Lionel Messi)が2009年から2012年まで4年連続で世界最優秀選手に与えられるバロンドール(FIFA Ballon d'Or)を獲得し、ロナウドはタイトルに手が届かなかった。

 それでも2013年、ロナウドはチームで無冠に終わったものの、公式戦56試合で計66得点という驚異的な成績を残したことが評価され、ついにメッシを抑えてバロンドールに輝いた。ロナウドはうれしさのあまり、スイス・チューリヒ(Zurich)で行われた表彰式で涙を流した。

――クラブに悲願の「ラ・デシマ」をもたらす

 レアルのフロレンティノ・ペレス(Florentino Perez)会長が、当時の世界記録である9400万ユーロを費やしてロナウドを獲得したのは、一つの大きな目標があったからだった。それは通算10回目の欧州制覇を意味する「ラ・デシマ」だ。

 そしてロナウド加入から4年後、3シーズン連続のベスト4敗退の苦しみも経て迎えた2014年、レアルはついに欧州チャンピオンズリーグ決勝の舞台に到達。ロナウドのプロキャリアの出発点であるポルトガル・リスボン(Lisbon)でアトレティコ・マドリード(Atletico de Madrid)との激闘を制し、欧州制覇を果たした。

 レアルは後半ロスタイムにセルヒオ・ラモス(Sergio Ramos)が起死回生の同点ゴールを決めて延長戦に持ち込むと、そこからの30分で、ロナウドの4得点目を含む3ゴールを奪いアトレティコを突き放した。ロナウドはこの大会で史上最多17得点を記録し、得点王に輝いている。

――ミラノでの再戦に幕を下ろした決勝PK

「ラ・デシマ」達成から2年後、レアルとアトレティコは再び、今度は伊ミラノ(Milan)の地で欧州王者のタイトルをかけて争った。試合は120分を終えても1-1のまま決着がつかず、PK戦に突入。そして試合を決めたのがロナウドのキックだった。リスボンのときと同様、ロナウドはユニホームを脱ぎ、涙を流しながら勝利を喜んだ。

 そして7月、ロナウドはポルトガル代表としても欧州選手権(UEFA Euro 2016)制覇に貢献し、母国に初の主要国際大会のタイトルをもたらした。本人は2015-16シーズンについて、「夢のような一年だった」と話している。(c)AFP/Kieran CANNING