【10月24日 AFP】セルビアで22日、旧ユーゴスラビア王家の末裔(まつえい)が結婚式を挙げた。100年近く前、当時のユーゴスラビア王アレクサンダル1世(King Aleksandar I)が結婚した時は豪雨の中、10万人以上がベオグラード(Belgrade)市街を埋めつくして祝ったが、今回は旧王家として数十年ぶりの結婚式だったにもかかわらず大衆紙以外のメディアにはほとんど無視され、全く気付かなかったセルビア人もいたことだろう。

 ミハイロ・カラジョルジェビッチ(Mihailo Karadjordjevic)氏(30)は、ベオグラード生まれの薬剤師、リュビカ・リュビサブルイェビッチ(jubica Ljubisavljevic)さんと、旧王家の墓所があるセルビア中部オプレナツ(Oplenac)の聖ジョルジェ正教会(Orthodox Church of St George)で挙式した。

 出席者はユーゴスラビア王国最後の皇太子、アレクサンダル2世(Crown Prince Aleksandar II)をはじめ外国の使節ら300人。教会の外に集まった一般市民はわずか150人だった。

 カラジョルジェビッチ王家は19世紀初頭、養豚農家の出身ながら当時一帯を支配していたオスマン(Ottoman)帝国に対するセルビア人の最初の蜂起を率い、「カラジョルジェ」(Karadjordje、黒いジョルジュ)の異名で知られたジョルジェ・ペトロビッチ公(Djordje Petrovic)が興した。

 旧王族では20年前、カラジョルジェビッチ氏のいとこが結婚式を挙げている。しかし、王室一家の挙式は1922年、バルカン半島の結束を強めるための重要な政略結婚とされたアレクサンダル1世とルーマニアのマリア王女(Princess Maria)の式が行われて以来だ。

 アレクサンダル1世は訪問先のフランス・マルセイユ(Marseille)で暗殺され、10代の若さで跡を継いだ息子のペータル2世(Petar II)は、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)による占領を逃れて英ロンドン(London)に亡命した。戦後、ヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito)率いるユーゴスラビアの共産主義政権は王政を廃止。ペータル2世は帰国を認められないまま、米国で死去した。残された家族は21世紀に入ってようやくセルビアへの帰国を許されたが、共和制の下、国民の意識の中で旧王家の存在感は薄れている。(c)AFP