【7月15日 AFP】世界で最も新しい国、南スーダンの首都、ジュバ(Juba)で最近起きた戦闘は、内戦が勃発した2013年12月以降で最悪の規模のものとなった。

 サルバ・キール(Salva Kiir)大統領派とリヤク・マシャール(Riek Machar)第1副大統領派の対立による戦闘は他の勢力も巻き込んでいる。マシャール氏は4月、統一政権を樹立するため形式的には停戦に合意していた。

 以下に挙げるのは、この事態に関係する主要な勢力だ。一部の勢力は紛争を激化させているが、和平を模索する勢力もある。

■キール氏とマシャール氏

 キール氏とマシャール氏は、南スーダンが2011年にスーダンから独立する前の1983年から2005年まで続いたスーダン北部との内戦で対立勢力として互いに争い、それぞれの勢力の指導者として頭角を現した。

 2人はいずれもスーダンの代表的な民族出身。キール氏はディンカ(Dinka)人、マシャール氏はヌエル(Nuer)人だ。ディンカ、ヌエルともさらに細かい勢力に分かれ、氏族間で対立している例もある。

 国連(UN)の専門家は、数万人が犠牲になったとみられる内戦中の暴力の大半について、キール氏とマシャール氏の双方に責任があるとしている。

 13年12月、キール氏がマシャール氏についてクーデターを企てたと非難し、南スーダンは再び内戦に突入した。15年8月の和平協定締結を経て、マシャール氏は今年4月、1500人の兵士と共にジュバに戻った。マシャール氏配下の兵士はジュバ郊外の野営地を拠点とし、小型武器の携行のみ許可されている。

 戦車や大砲、攻撃ヘリコプターを擁するキール氏の軍隊は、マシャール氏派の兵士と同程度の戦力のみを残してジュバ市外に撤退することとなっている。

■強硬派

 戦いは細分化され、キール、マシャール両派内部の分裂も伝えられている。いまやキール派、マシャール派のどちらの意向も気にせずに活動している勢力も多数存在する。今月8日に戦闘が始まった時、キール、マシャール両氏は事態の鎮静化を訴える共同声明を発表するため大統領府にいた。

 アナリストによると、キール、マシャール両派内部の強硬派は15年8月の和平協定を支持しておらず、軍事的手段による紛争終結を望んでいるという。

■近隣諸国と地域機構

 これまでは、東アフリカの平和と安全確保や地域統合を目指す地域機構、政府間開発機構(Inter-Governmental Authority on DevelopmentIGAD)や近隣諸国が和平への道を模索してきた。エチオピアとケニアは複数回にわたり和平協議を主催してきた。

 ただ、近隣諸国が特定の内戦当事者を支援しているとの批判もある。スーダンは、南スーダンの不安定化を狙って互いに対立している複数の勢力を支援していると批判されているが、スーダン政府はこうした指摘を否定している。ウガンダは、キール派を支援するため13年に軍を派遣した。

■国際機関

 フェスタス・モハエ(Festus Mogae)ボツワナ前大統領が率いる停戦監視団は停戦の実現を目指してきたが、その活動はここ数週間で何度も阻止されていた。

 国連によるキール、マシャール両派幹部への制裁や、IGADやアフリカ連合(AU)などによる警告は、これまでのところ戦闘の抑制にほとんど成果を上げていない。

 1万2000人の国連平和維持軍のうち半数以上が、南スーダン各地の鉄条網で囲まれた基地に逃げ込んできた民間人16万人以上の保護に追われている。このうちジュバでの避難民は3万人を超えている。

■教会と援助団体

 南スーダンの食料と医薬品のほとんどは援助団体によって提供されている。戦闘激化を受けて海外からの援助団体職員は南スーダンから出国するとみられ、住民の生命を支えている活動に大きな空白が生じる恐れがある。

 ただ、教会が主導する援助活動は、内戦が長年続く中、遠隔地の最貧困地域でも継続されてきた。ジュバでは戦闘で自宅を追われた数千人が教会の建物に避難している。

 教会の司教らはこれまでにも、紛争に関与する各勢力の指導者レベルや地区レベルで和平を仲介してきた。(c)AFP/Peter MARTELL