【6月13日 AFP】サッカースウェーデン代表のスーパースターであるズラタン・イブラヒモビッチ(Zlatan Ibrahimovic)は、尊大なキャラクターを隠そうともしない。少年時代に所属していたクラブの関係者によれば、その性格は昔から変わっていないという。

 イブラヒモビッチが初めてサッカーシューズを履いたのは、1962年に旧ユーゴスラビアの移民がスウェーデン南部マルメ(Malmo)に設立したクラブ、FBKバルカン(FBK Balkan)に加入した6歳の時だった。

 FKBバルカンのイバン・ミロシェビッチ(Ivan Milosevic)会長は、「彼の望みはゴールを決めることだけだった。コーチの話を聞くこともあれば、やりたいようにやることもあった」と振り返る。若い頃は、イブラヒモビッチと一緒にプレーしていたというミロシェビッチ会長は、現在シニアの選手を育成している。

 FBKバルカンの元コーチであるハシブ・クリチッチ(Hasib Klicic)氏も、イブラヒモビッチについて「トラブルメーカーだった。格段に上手なわけではないのに、いつもプレーしたがっていた」と語っている。

 一方、1994年にイブラヒモビッチが移籍したマルメFF(Malmo FF)で、同選手を指導していたオラ・ガルスタッド(Ola Gallstad)氏は、「実力はあったが、『すごい、何が起きているんだ』というほどではなかった。最初は動きが少し鈍かったが、最後はすごかった!」と話している。

 イブラヒモビッチを世界屈指のストライカーに導いた鍵は、頑固さと忍耐力だ。

 ミロシェビッチ会長は、イブラヒモビッチが「朝から晩までドリブルやフェイントを練習し、プレーに明け暮れていた」と振り返り、クリチッチ氏は「いつもボールを持っていた。寝ている時も手放さなかったと思う。ボールを持っていない時はなかった。誰が一番多く得点できるか、友人と競い合っていた」と思い出を語った。

 FBKバルカンの中には、イブラヒモビッチが、スターになってからチームのことを忘れてしまったと話す者もいる。しかしミロシェビッチ氏は、それについて議論はせず、イブラヒモビッチが決断力に優れた選手であったと強調した。