■「カミカゼ精神」

 原爆投下の支持者らは、トルーマンには選択の余地がほとんどなかったと主張している。

 1945年春の終わり頃までには、米軍とソ連軍はドイツのエルベ(Elbe)川で合流し、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は包囲され、欧州戦線は終わりに近づいていた。

 しかし、太平洋戦線では犠牲は拡大していた。日本は多くの犠牲を出し、敗戦は不可避にみえる状況にもかかわらず、降伏の意志を示さなかった。

 トルーマンにとって原爆投下の第一の目的は、日本での陸上戦を避けることにあった。本州上陸作戦を実施すれば、少なくとも100万人の米兵と最大250万人の日本兵が動員され、戦死者は25万人、戦争終結は1年以上遠のくと見込まれていた。

 原爆実験を成功裏に終え、トルーマンは7月末に日本に最後の機会を与えた。ドイツ・ポツダム(Potsdam)で、トルーマンはソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)、英国のウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)首相と会談。3首脳は日本政府に対し、「無条件降伏」しなければ「迅速かつ完全なる壊滅」に直面するだろうと警告した。

 連合国は、日本側の反応を待ち続けた。そしてその返答をもたらしたのは、当時の鈴木貫太郎(Kantaro Suzuki)首相だった。

 鈴木首相は記者らの質問に対し、「黙殺」という、後に悪名を得ることになる言葉で答えた。これが「コメントに値しない」と訳されたため、「米当局者らは鈴木首相の語調に怒り、『バンザイ』や『カミカゼ』精神の典型的な例だと受け止めたのは明らかで、強硬策に打って出た」と、米国家安全保障局(NSA)は、誤訳の危険性に関する報告書で指摘している。