【5月11日 AFP】格闘技の世界ではある程度のアグレッシブさは必要かもしれないが、五輪大会に出場することを目指し、トレーニングを開始したコンゴ(旧ザイール)出身のポポレ・ミセンガ(Popole Misenga)さん(24)のそれは、少々度が過ぎた──。コーチの言葉を借りるなら「残忍」ですらあった。

 コンゴ出身の柔道家であるミセンガさんは、8月のリオデジャネイロ五輪に参加する「難民チーム」への登録を目指す選手の一人。今回の大会では史上初めて、紛争などで母国を逃れた難民のアスリートたちから成る多国籍チームが出場することが決まっている。

 ミセンガさんは、1998~2003年のコンゴの内戦を若くして経験し、恐怖と飢餓、絶望によって「無情」になった。

「彼はとても残忍だった」と、これまで五輪チームを何度も指導してきたベテランのブラジル人コーチ、ジェラルド・ベルナルデス(Geraldo Bernardes)氏は言う。同氏は現在、ブラジル人柔道選手で五輪銅メダリストのフラビオ・カント(Flavio Canto)氏がリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に立ち上げたNGOのトーレニング施設で、ミセンガさんら有望選手を指導している。

 ミセンガさんは、リオのスラム街(ファベーラ)にある窓のない寝室一部屋のアパートで、ブラジル人パートナーのファビアナさんと、2人がもうけた1歳の息子、そして彼女の連れ子3人と一緒に計6人で暮らしている。1年前にはトレーニング施設でのけんかも絶えなかったが、今はだいぶ穏やかになったという。

 彼の母親は既に死去しており、父親の行方は分からない。きょうだい3人とは離れ離れになった。幼い頃に一人で必死で森に逃げたことだけは覚えているという。

 ミセンガさんはコンゴ東部のブカブ(Bukavu)から逃げ、難民キャンプにいたときに柔道を習った。ブカブでは内戦が終わった現在も情勢は不安定だ。