【5月2日 AFP】中国東北部・黒竜江(Heilongjiang)省のハルビン(Harbin)で1日、60年ぶりに同国本土で正式に叙任された中国正教会の聖職者がイースター(Easter、復活祭)の礼拝を執り行った。このところの中国・ロシア両政府の接近に伴って結実した最も意外な成果の一つといえる。

 ハルビン聖母守護教堂(Church of Holy Protection)のアレクサンドル遇石(Alexander Yu Shi)輔祭は、地元の信者たちに囲まれ、教会スラブ語と北京語で祈りをささげ、「喜ばしい日だ。主の復活を祝おう」「ハルビンの東方正教会にとっても復活の日だ」と語った。

 ハルビンには小規模ながら正教会信者のコミュニティーが存在する。高齢化著しい信者たちの多くは、ハルビンが国際都市として栄えた100年前に国際結婚した中国人とロシア人の末裔(まつえい)だ。

 元銀行支店長の遇輔祭は、仏教徒の祖父母をもつが、1990年代にモスクワ(Moscow)にビジネス留学した際に改宗した。その後サンクトペテルブルク(St. Petersburg)の神学校で学んだが、無神論を公然と掲げる中国共産党の援助により正教会神学校に入学した中国人は、遇輔祭が初めてだ。

「中露両政府の支援のおかげで、神学理論を体系的に学ぶことができた」と、教会の執務室でAFPの取材に応じた遇輔祭は述べた。傍らには、ロシア正教会のそうそうたる顔ぶれと並んだ遇輔祭の写真が飾ってあった。

 ハルビンはかつて「東洋のパリ(Paris)」とうたわれ、多彩な国籍の人々が暮らしていた。ロシア人の人口も数万人に上り、正教会の聖堂は20か所以上あった。しかし、1949年に共産党政権の中華人民共和国が建国され、1966年からは毛沢東(Mao Zedong)主導下で文化大革命の嵐が吹き荒れると、ロシア人の多くはハルビンを脱出したりロシアに引き揚げたりしたほか、教会が破壊され、ハルビンに残った信者たちは地下に潜った。

 さらに、ロシア系住民はソビエト連邦のスパイだと非難され、迫害にさらされた。

 中国正教会は毛沢東死去後の1980年代に礼拝の再開にこぎつけたが、叙任聖職者は不在のままで、2000年に高齢の司祭が死去して以降は礼拝を執り行う聖職者がいない状態が続いていた。(c)AFP/Tom HANCOCK