【4月24日 AFP】モハメド・カティブさん(25)の夢は、パレスチナに初めての五輪メダルをもたらすことだ。

 大学で社会学を学び、ヨガのインストラクターとして働く彼がそんな夢を抱き始めたのは、何年か前に陸上の100メートル競技で優勝してからだ。以来、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸(West Bank)のラマラ(Ramallah)にあるアスファルトのトラック(プロ選手のトレーニングには適さずあまり安全でもない)を毎日スプリントしている。

「サッカーのスタジアムはあるけど、陸上用はほとんどない。100メートル用のトラックはあっても、アスファルトだからけがをしかねない」。パレスチナ国旗の色のカフィーヤ(アラブの男性が使うスカーフ)を首に巻いた、カーリーヘアのカティブさんは嘆く。

 だが高い目標を掲げているカティブさんに、インフラの不備を嘆いている時間はない。国際社会で国家として承認されることを70年間待ち望んできたパレスチナ人のために「希望と幸せを生み出したい」と言う。

 そう思うきっかけとなったのは、2013年にアラブ世界で人気のオーディション番組「アラブ・アイドル(Arab Idol)」で、パレスチナ自治区ガザ(Gaza)の歌手モハメド・アサフ(Mohammed Assaf)さんが優勝したときだった。「みんな、とても嬉しそうだった。夜通しパーティーをしていた。アラブ世界全体の投票でパレスチナ人が勝ったんだからね。その時に思った。(スポーツの)国際大会でパレスチナ人が勝ったら、どうなるのかなって」

 パレスチナ人たちの歓声や歓喜のクラクションを聞いたその夜から、カティブさんは「ユーチューブ(YouTube)」で見つけた練習法を参考にして、一人でトレーニングに励んでいる。そのかいあって、この3年間で100メートルのタイムは、15秒から11秒に縮んだ。

 とはいえ、王者ウサイン・ボルト(Usain Bolt)選手が持つ世界記録9.85秒には程遠い。それどころか、今年のブラジル・リオデジャネイロ五輪の出場資格10.16秒にも届いていない。

 しかし、カティブさんは諦めていない。ラマラに新しい建物が建設され、彼が練習するトラックにもクレーン車などが乗り入れているが、それでも走り続けている。彼はまだ、観客の熱気とスタート時の緊張感が漂うような国際大会に出場したことはない。今まで出た大会と言えば「レーンがカーブを描いてではなく直角で曲がる」スタジアムで開催されたものばかりだ。

 たとえ規定のタイムに達しなかったとしても、他の道で五輪出場資格を得る可能性はある。出場資格のタイムにわずかに達しなかった選手や、あるいは国代表が一人も入らなかった場合に提供される「ワイルドカード」という特別出場枠だ。12年のロンドン五輪では、パレスチナの代表団5人中、4人がワイルドカード枠だった。

 残る1人、柔道に出場した選手が五輪史上、初めて実績で出場を勝ち取ったパレスチナ人だった。パレスチナが五輪でメダルを獲得したことは一度もないし、パレスチナの五輪委員会も難しいことは百も承知だ。だが、サッカーW杯の予選がそうであるように、大会への参加はスポーツイベントへの出場という意義にとどまらず、パレスチナ国家の樹立を支持する政治的表明でもある。

 カティブさんは自分が前例を作ることができると信じている。イスラエルは「私たち(パレスチナ人)に、自分たちは何もできない、いつも遅れていると信じ込ませようとしているが、それは間違いだと僕が証明してみせる」

 多くの若いパレスチナ人のように、イスラエル兵に投石することにエネルギーを使う代わりに「自分の社会のために何かを築くことに使いたい。五輪で私たちも成功できるという希望を生むんだ」とカティブさんは言う。

 これまで何年も1人で練習してきたが、さらなる飛躍のために米国でトレーニングを積むことにした。米国での3か月の滞在費用はインターネットで寄付を募ったところ、あっという間に集まったという。(c)AFP/Sarah BENHAIDA