【AFP記者コラム】この赤ん坊がわが子だったら? トルコの海岸で見た耐え難い現実
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【3月29日 AFP】その赤ん坊は、私が海岸で見た最初の遺体だった。生後9か月か10か月ぐらいの男の子。厚着をして帽子をかぶっていた。オレンジ色のおしゃぶりが服につけてあった。赤ん坊の近くには8歳か9歳ぐらいの子どもが、またその近くには女性が浮かんでいた。おそらく2人の子の母親なのだろう。
私は数枚の写真を撮った。海岸沿いを歩くと、岩の上にまた別の子どもの遺体が見えた。後で、悪夢にうなされるだろう。何時間も言葉を発せなくなるだろう。だがその瞬間、私は何も感じていなかった。それが正直な気持ちだ。トルコ警察が遺体を収容していた。前夜に沖合でおぼれた人たちだ。遺体の数はあまりに多く、私はそのすべてを数えることができなかった。
しばらくの間、赤ん坊は放置されていた。私はその子のところへ戻り、1時間ほどそばにいた。ただ静かに彼のそばに。私にも5か月の息子と8歳の娘がいる。もしこの息のない赤ん坊がわが子だったら、私はどうするだろう…。いま、人類に起きていることを自分に問うた。
トルコ北西部のチャナッカレ(Canakkale)に来て数日がたった。チャナッカレはエーゲ海(Aegean Sea)のトルコ側にあり、海を越えてすぐのところにあるギリシャのレスボス(Lesbos)島にボートで渡ろうと、シリアやイラクなどから多くの難民が集まっている。
チャナッカレの状況は非常に緊迫している。
この前日、私は密航業者にだまされた何十人もの移民たちと一緒に林の中にいた。彼らはギリシャへ向かうボートに乗るために、大金を業者に支払った。だが、実際に用意されたボートは、約束と違い、あまりにも小さかった。転覆を恐れた彼らが乗船を拒むと、業者は武器で脅した。
次のボートを待ちながら火をたいて暖をとっていた彼らは、私を歓迎し、自分たちの問題について語ってくれた。
子どもたちは親に、「いつになったらボートに乗れるの?」と聞き続けていた。
1月29日の深夜、穏やかな天候の中、定員オーバーのボートが海岸から数百メートル沖合で沈んだ。そのボートに、林の中で私が話を聞いた人たちも乗っていたのだろうか?
間違いなく、いや、多分。正直なところ、わからない。
1月30日の朝7時ごろ、私は救急車のサイレンで起こされた。私が滞在していたホテルは、沿岸警備隊の詰め所のすぐ隣だった。何か深刻な事件が起きたのだとすぐにわかった。
詰め所に行くと、ボートが停泊し、プラスチックのバッグに入れられた遺体が降ろされていた。10体ぐらいまで数えた。女性や子どもを含む多くの生存者もいた。近寄ってみた。彼らはシリアやイラク、アフガニスタン、ミャンマー、バングラデシュから来た人たちだった。みんなショック状態だった。
彼らは、天候が良く海も穏やかだったが、ボートに人が乗り過ぎていたと語った。定員20~30人ぐらいの小さな観光用ボートに、100人以上が乗っていたという。ボートに乗るために、1人当たり1200ユーロ(約15万円)を密航業者に支払っていた。
警察が生存者たちに話を聞いている間、私はボートが沈没した現場に行ってみることにした。ボートは海岸から1キロも離れていない場所で沈み始めたようだ。私が現場に行くと、岸から約50メートルのところに半分沈んだ状態で浮いていた。
海岸は、エーゲ海の冷たい水に打ち上げられたライフジャケット、身の回り品、そして遺体で覆われた。私の前に横たわっている赤ん坊の遺体も含めて、だ。
写真家として、たくさんの暴動や襲撃を取材してきた。遺体も多く見てきた。だがこれは、最も耐え難い光景だった。
その小さな体を見ながら、自問せずにいられなかった。なぜシリアの内戦はいまだに終わりが見えないのか。怒りがこみ上げる。こうした状況を引き起こした政治家すべてに対する怒り、彼らを死に追いやった密航業者らに対する怒りだ。
ようやく警官が来て、赤ん坊の体を抱き上げプラスチックの袋に収めた。警官もまた、泣いていた。(c)AFP/Ozan Kose
このコラムはトルコのイスタンブールを拠点とするAFPのフォトグラファー、オザン・コーゼ(Ozan Kose)がロラン・ドクルソン(Roland de Courson)記者と共同執筆、ヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が英訳し、2016年2月1日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。