■洋裁師からデザイナーに

 洋服が普及し、あまり珍しいものではなくなると、文化服装学院の学生たちは実験的なデザインを意欲的に試みるようになった。そして、洋裁師ではなくデザイナーを志すという、新しい世代による次なるファッションの時代を迎えた。

 彼らの多くは、山本耀司のように洋裁師の子供たちだった。「コシノ三姉妹」として知られるコシノヒロコ(Hiroko Koshino)、ジュンコ(Junko Koshino)、ミチコ(Michiko Koshino)もまた、大阪で洋裁店を営んでいた小篠綾子(Ayako Koshino)の娘たちだ。

 文化服装学院出身のコシノヒロコは、世界的にも名が知られており、先週の「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク 東京(Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO)」でも自身の最新コレクションを披露している。ショー開催の直前に応じたAFPの取材では、「女性100人に対して男性が5人くらいだった。男性の方がどちらかというと大人しくしていて女性の方が活躍していた」と在学当時を振り返り、そして「ファッションは女性の世界だっていうくらいの気分でいた。女性が女性のデザインをするっていうような観念の時代だったから」と話した。

 1970年に米ニューヨーク(New York)でデビューを果たした高田賢三に続き、コシノヒロコも1978年にローマ(Rome)でのショーに参加。日本人デザイナーとしては初めてだった。

 コシノジュンコとミチコも相次いで欧州で成功し、現在はヒロコの娘、ユマ(Yuma Koshino)も自身のブランドを展開している。

 文化服装学院のカリキュラムの水準は高く、厳しいデザインの世界で生き残っていくために、学生には相当の努力が求められる。

 文化服装学院の卒業生らは、そうしたプレッシャーを耐え抜いている。そして、そこでの水準と厳しさを知っているがために、彼らは同校出身者をインターンとして受け入れることも多い。このつながりが、日本のファッション界を広く支えているのだ。(c)AFP